前回取り上げた池田純久陸軍少佐(昭和9(1934)年当時)が陸軍省軍務局軍事課政策班長として、永田鉄山軍務局長の指導のもと作成したという「日本国家改造要綱」について、いまや古典的名著ともいうべき秦郁彦著「軍ファシズム運動史**」(河出書房新社、1962年初版・1972年増補再版)によれば次のような説明がなされています。(以下、*裕鴻註記・句読点など適宜補正)

・・・統制派が最初に作製した*改造案は、三月、十月、五・一五各事件と同じように、暴力革命方式を採り、議会は停止しないがナチスの授権法のようなものを制定し、その権限を制限する、政党の存在は否定しないが、多数党が政権を握るという憲政常道論を否認する、国家経済は統制経済方式を採用し、農地の国有化、農漁山村の救済、国防の充実に努めるというナチス類似の政治経済体制を予定していたが、皇道派青年将校の構想と異なるのは、その実現にあたって、「(*陸)軍が組織を動かし、(*陸)軍の一糸乱れぬ統率の下に行動」しようとする点にあった。・・・(上記「軍ファシズム運動史**」89頁)

・・・第一回の(*改造案の)試案は、100頁にわたる広汎なもので十月事件(*昭和6(*1931)年10月)の前後にでき上り、「日本国家改造要綱」と名づけられ謄写刷にしてメンバーに配布したが、これは後に池田の手許に回収して焼却したので現存しないという。・・・(同上書**90頁、*改造案の原注より)

 川田稔先生のご教示によれば、確かなことは不明だけれども、この「日本国家改造要綱」については、片倉衷少将(陸士31期、陸大40期)は全て破棄されたとしており、今のところ出てきていないそうです。しかし上記の秦郁彦先生著書**の付録資料の中の「陸軍当面の非常時政策」(昭和10(1935)年9月18日)という文書の内容が、これと何らかの関係があるのではないかと言われているとのことでした。どちらの文書も、池田純久中将(陸士28期、陸大36期)が当時執筆したと言われています。上記の第一回試案たる「日本国家改造要綱」ができた昭和6(1931)年10月は、当時の池田少佐が陸軍派遣学生としての東京帝國大學経済学部を修了し、陸軍省軍務局軍事課員となっていた時期で、その後昭和9(1934)年10月に発表された「国防の本義とその強化の提唱」(陸軍パンフレット:陸パン)の原案を執筆しました。本シリーズ(30)回で見た通り、谷田勇中将(陸士27期、陸大36期)によれば、池田純久少佐が幹事となって、統制派幕僚の集まりが昭和9(1934年)年6月頃作り上げた「総合国策大綱」がその「陸パン」の骨子となっているとのことです。そして「陸パン」発表のあと、池田少佐は、約半年の欧州出張を経て中佐に進級し、軍務局付を仰せ付けられたのが昭和10(1935)年8月です。そして上記「陸軍当面の非常時政策」(昭和10(1935)年9月18日)を執筆するので、当然この文書の内容は、これ以前に池田少佐が執筆した「日本国家改造要綱」ないし谷田中将のいう「総合国策大綱」の内容に連関しているということは合理的に推定できます。

 一方で、前回(33)の三田村武夫著「戦争と共産主義」に登場した、「長期戦争計画要綱」とか、・・・昭和十(*1935)年の暮頃、「日満財政経済研究会」という秘密機関で作成された「戦争五十年計画要綱」・・・という文書は、内容的には上記の「日本国家改造要綱」や「総合国策大綱」と連関していることはあるとしても、そもそも「日満財政経済研究会」が創立されたのは、石原莞爾将軍が戦後作成し極東軍事裁判に提出した手記によれば・・・一、昭和十(*1935)年八月参謀本部作戦課長に任命せられし石原は、着任後(*中略)軍隊の機械化特に航空兵力の増強を眼目とする兵備充実を企図し上官の賛同を得たり、然るに民間にも政府にも日本経済力の綜合判断に関する調査なきを知りて驚愕し、種々考慮の結果満鉄会社の諒解を得た昭和十(*1935)年秋、同社経済調査会東京駐在員たりし宮崎正義に依頼して日満財政経済調査会(*研究会)を創立せり 当時全く私的機関なり 二、前項の兵備充実の基礎たるべき生産力拡充計画第一案は、昭和十一(*1936)年夏頃脱稿せり 案の基礎条件として少くも十年間の平和を必要と認めたり 三、昭和十二(*1937)年九月石原が参謀本部より転出後も、宮崎氏は研究をつづけ支那事変を急速に解決するにあらずんば重大なる危局を招来すべきことを主張したるも、当局の顧るところとならず、昭和十五(*1940)年調査継続の意義なしとして自ら調査会を解散せり・・・となっています。(「現代史資料(8)日中戦争(一)***」島田俊彦・稲葉正夫 解説、昭和39年みすず書房刊、703頁より)

   石原将軍が取り組んでいたのは、・・・重要産業五カ年計画の実現を中核とする政治経済体制((*陸)軍が主導する一国一党政治と強度の統制経済)・・・(前掲「軍ファシズム運動史**」127頁)であり、またここで登場する宮崎氏とは、・・・宮崎正義は石川県に生まれ、日露戦争の直後に石川県留学生としてロシアに派遣され、帰国後満鉄に入り、再びモスコー(*ソ連モスクワ)に留学を命じられた。後に三井銀行から派遣されて「日満財政経済研究会」のスタッフとなった泉山三六が、宮崎を「世に隠れたる大人であったが実に堂々たる人材であった」(泉山三六『トラ大臣になるまで』一一〇頁)と評しているように、表面は満鉄の一社員にもかかわらず、石原の厚い信頼を受け、「先生」と尊称されていた。また松岡(*洋右)満鉄総裁も、みずから足を運んで彼に教えを乞うていたという(同前)。・・・ (上記「軍ファシズム運動史**」240~241頁)人物でした。つまり宮崎氏を通じて、ソ連の社会主義型中長期計画経済の方式を基礎として、この「重要産業五カ年計画」が策定されたと合理的に推定できるのです。

 この石原将軍が陸軍中央にいる間に策定した主要な計画を辿ってみます。

1「国防国策大綱」俗称「戦争指導計画」昭和11(1936)年6月30日参謀本部

2「国策の基準」昭和11(1936)年8月7日五相会議(首/蔵/外/陸/海の各相)

3「帝国外交方針」昭和11(1936)年8月7日四相決定(首/外/陸/海の各相)

4「重要産業五カ年計画要綱」昭和12(1937)年5月29日陸相から内閣提出

5「重要産業五カ年計画要綱実施に関する政策大綱(案)」昭和12(1937)年6月10日陸軍試案

   これらの文書はいずれも「現代史資料(8)日中戦争(一)***」に所収されています。

   このうち「日満財政経済研究会」の宮崎正義氏が昭和11(1936)年7月頃概成した第一次原案がようやく翌年に陸軍大臣の決裁を受け内閣に提出されたのが上掲4「重要産業五カ年計画要綱」です。そしてこれに付随すると見られる5「重要産業五カ年計画要綱実施に関する政策大綱(陸軍試案)」には、かなり詳細な各産業別の五カ年計画(目標)が策定されています。しかし、これを見てもこれらの計画は統制経済を柱とする「国家改造計画」ではありますが、「戦争五十年計画要綱」というような超長期間の「戦争計画」らしき内容ではありません。

   つまり岩淵辰雄氏が見たという六部限定の「日本国家改造要綱」や、東條英機首相に追い詰められて中野正剛氏が昭和18(1943)年10月27日に割腹自決を遂げる前の同年春に中野氏宅で三田村武夫氏が見たという「年度割にして、二・二六事件から近衛内閣の出現、北支事変、国家総動員法、電力国家管理案、三国同盟、政治新体制確立等長期の計画」にぴったり当てはまる計画文書はなかなか見当たりません。やはり全て破棄・焼却されたのでしょうか。

 そこで今回は、上述の通り幻の「日本国家改造要綱」や「総合国策大綱」の内容を伺い知るため、その参考資料として次の文書を見てみたいと思います。

・・・「陸軍当面の非常時政策」昭和十(*1935)年九月十八日 文書番号56海軍法務局(思想)……(池田純久(*陸軍)中佐執筆といわれる)

 序 現在の軍部は帝政時代のロシア並にドイツの所謂軍に非ず、又山県(*山縣有朋)公、寺内(*正毅)伯等一二将軍の慾意に支配せられたる明治時代の所謂軍部に非ず、故に我軍部は東西の近代に其の比を見ざる独特の構成形態を以て新世界史的意義を持つ変革日本の現段階に重大なるレーゾンデートル(*存在理由)を強化強大しつつある所以を深刻大胆に自己認識し目睫(*目前)の間に急進せる日本改造の指導的中心たる大方針を断定して以て左記諸案の断行を急ぐべし。

 国策遂行のヘゲモニー(*主導権・指導権)を確保せよ!

   陸軍大臣は国務大臣たるの意義に於てのみならず陸軍大臣たる意義に於て現内閣に国策遂行のヘゲモニーを確保せざるべからず、満洲事変に発端し、五・一五事件を通じて奔流滔天の大勢化したる反資本主義的勢力は軍部若(*もし)くは所謂軍部の勢力が主体たりし事は満目瞭然。此時軍部が内外非常時局の真因を自己認識に徹し資本勢力への攻撃進急と共に更に進一歩して改造日本の建設に努力したとせよ、過去一年有半の過程が回復すべからざる無駄骨なりしことに愕然たるべし、既に過去は追ふべからず、退却したる資本は攻撃に転ずべき条件を準備したり、一敗千里を遁走する怯者の戦術は自強自恃の慢兵を破砕する準備に敏感なり、非常時日本が改革日本たるべきは歴史的必然にして何物の力も防ぐ能(*わ)ず、軍部は速かに改革国策を確定し陸相をして内閣にヘゲモニーを確保せしむると共に国民大衆の指導方策を急施し以て資本を攻撃するに遺憾なからしむべし

   一、ブレーントラストを組織すること、改造日本の政治過程に軍部のヘゲモニーを可能強力ならしむるために、(*陸軍)部の内と外とを問はず有為達識の人材を網羅してブレーントラストを設定すべし

   一、ブレーントラストの構成

   軍部のブレーントラストは軍部所属として構成せず独立の政治的研究団体、若(*し)くは文化団体として軍部との連絡は人的材的要素とを以て別に工夫すべし、ブレーントラストは日本内外の状勢に対する科学的検討を基礎とし各派の政治的主張を綜合参酌しつつ万人非議なき日本改造案大綱を決定す

   国民大衆の動員組織を確立せよ、軍部そのものが日本改造の過程に於ける政治的勢力にあること改めて論議の要なかるべし

   故に非常時日本を急速なる漸進的過程に於て改革せんと欲せば軍部は独自の政治的勢力を結成せざるべからず、明治維新以来の歴史的発展に牢乎(*ろうこ)たる根拠を築成したる資本主義的支配形態が単なる軍部の恫喝と誠意の政策的使分けの如きによって財閥党閥の翻意改善可能なるかの如き期待方針は危険なるセンチメンタリズムと日和見主義にして改革諸勢力の伸長阻止の逆作用なりし事を微見止揚すべく


   一、如何にして動員組織を設くべきか

   大衆の組織を具体化せしむるが為めにはブレーントラストによる科学的計画を前提とすべき事項規定の如く改造日本の改造過程に動員せらるべき大衆とは何ぞや、所謂大衆とは数量的に計算せられたる大衆と然らざるものとの二つあることは自明の理、前者には農村に於ける農民、都市・産業に於ける労働者等の労働者階級之に該当すべし、後者には組織せられたる改革諸団体の指導者、官公私の諸機関に従事する技術者、既成政治勢力中の革新分子等之に該当す、上述の動員対象は政界上層部への別途工作と関連して新政治勢力の主体として結成せらるべく軍部は之が育成の原動力たるべきは論なし

   二、ヂヤナリズム(*ジャーナリズム)を利用せよ

   大衆の具体的組織を速成せんがためには澎湃たる国民運動を煽起し以て国家改造を国民の自発的信念化せしむることを先票とし其方法としてヂヤナリズム(*ジャーナリズム)の利用を本とす、近代国家に於ける最大強のオルガナイザー(*組織形成者)にして且アヂテータ(*アジテーター:扇動者)はレーニンが力説し全世界の共産党員が実践して効果を煽動したるヂヤナリズム(*ジャーナリズム)なり、我が国の既成党が既にヂヤナリズム(*ジャーナリズム)の効用性を具備し満洲事変以来の軍部も又之を利用するに成功したこと、現前の昭乎たる事実の示す通り軍部は此ヂヤナリズム(*ジャーナリズム)の宣伝煽動の機能を計画的に効果的に利用すべし

   如何にして利用するかは有力なるものを新設すること、必要なる準備と特に資本とが可能ならば国論統一上の理論的闘争機関として新人材の動員機関として軍部の思想宣伝機関として現在の中央公論 改造等を圧倒するに足る言論機関を新設すべし、之は既成のヂヤナリズム(*ジャーナリズム)を利用するにあり、その方法は多岐に亘るべしと雖(*いえども)、例へば松岡洋右氏の如き、中野正剛氏の如き改造諸勢力の言動の如き軍部関係の時局意見の如き、その主張と動向とが必ずしも厳然たる意味に於て讃同すべからざる事情の存するにせよ、改造の大勢力をして全国民に浸透漲溢せしむる上に役立つ限り毎日全国新聞紙上でデカデカ特種記事化せしむる様努力すべし 従って軍部従来のニュース供給上に今後一段の工夫を要すべきことも勿論

   三、在郷軍人会統制すべし

 在郷軍人会(*郷軍;各地域軍人OB会)が軍部の最有力なる社会的機関の一なるは論議の要なし 明倫会、皇道会等と称する郷軍背景の政治団体の自然発生的簇生は将来の郷軍統制上の障害化せる惧れあるのみならず資本勢力の対軍部勢力への分裂政策を誘致する可能性あり、軍部は自己の政治的勢力として郷軍利用の方針を確立し、一は郷軍中の勤労農民をして農村経済組合を構成せしめ、一は之を組織して政治団体化せしめ前者は新農村建設の礎石たらしむると同時に後者は既成政党の地方地盤を根底から破砕する使命を遂行せしめ将来新政治団体結成の一準備たらしむべし、郷軍を経済団体化し政治団体化することは今後郷軍統制上の支障たるべしとの杞憂論は郷軍の一部が政友・民政の地方勢力に侵害されたる結果と対比する時根拠なき取越苦労として氷解すべし、郷軍利用の組織は軍部当面の急務中の急務なりとす

   四、陸軍労働組合を組織すべし

 国家は主権者たると同時に軍需品工場の経営者として現に数万の労働者を直接雇傭す、軍部は自己の労働者に対しては労働条件にせよその決定方法にせよ、首尾一貫したる合理的方針を実践躬行せざるベからず 現在軍当局は陸海軍を合して十万の労働者を雇傭し、下請民間大中工場労働者を加へて百万に及ぶべし。実現せらるべき改造日本の軍需品工場は官労民営を合したる統制経営たるべく軍部陸海軍協力し下請契約を通じて民間軍需品への経営状態と労働者政策とに対し、皇軍精神を根基としたる具体的指導を行ふべく先づ軍部の労働政策を確立すべし、組織せられたる陸軍労働組合は海軍労働組合と協力し近く組織せらるべき逓信労働組合と提携して国家改造の一大勢力化すべき民間労働組合はこの官業の改造勢力の前に怖伏統制せらるべし

   五、公益労働者の組織を獲得せよ

 通信と交通と動力とは資本主義の大動脈なり、軍部はこの大動脈の労働者を自己の動員下に獲得せよ、前記官業労働者の組織と共に資本主義勢力への闘争部隊として最強力たるべし、獲得の方法如何、労働者大衆の精神的共鳴を確保すべきは原則、先づ労働組合の幹部を同志として獲得すべし、組合幹部の獲得には同志的提携の方法あり、買収する方法あり、好む所に乗じて誘惑する方法もあり、人倫に反せざる限り手段は千変万化して可 (*中略) 大要上述の如く二十有年の歴史的訓練を経、漸く日本独自の国法に則せんとしつつある労働者階級運動は軍部精神を基調としたる陸軍労働組合の組織により労働運動に対する陸軍のヘゲモニー確保により一段の拡大強化を期待し得べし

   六、各配属将校と通じて学生動員を計画すべし

   現代学生サラリーマンは予備軍たるのみならず政治的大衆動員の一翼として役割の重大なることは論なし、頻発する学校騒動が善良なる学生をして漸時匪賊化しつつある傾向は種々の意味に於て統制し、改善を加ふる要あり、軍部は各学校の配属将校を先づ統一訓練して次のゼネレーション担当者の不健全性を匡救する意味に於て学生動員の組織を確立すべし

   七、中堅インテリー(*ママ)を獲得すべし

   現代の輿論を構成するものは、一にヂヤナリズム(*ジャーナリズム)、二は学会、三に官公吏、四に政党、五に各種の政治団体(所謂左右両翼の各種団体を含む)、六に各種の調査研究機関とす、右の内一に対しては軍部として必要なる方針を既記したり、二及三に対してはブレイントラストの直接間接の働きかけと言論機関の新設等が重要作用をなすべし、四に対してはブレイントラスト中に有力者を加へることになり、既記したる各種の動員組織により之等一切の発展拡大したるものとしての新政治団体により闘争し得べし、之に対しては後記す 六に対する方針はここに説かんとする所、所謂中堅インテリー(*ママ)の獲得なりとす、何を以て中堅インテリーと称すべきかの判定は本方針実践者の聡明に信頼して可、机上に杓子定規の戦術論は、却って進行を妨ぐべし、ただ本文の筆者が一案として腹蔵するものを云へば今日官公私の各種調査研究機関度数(*頻度・個数)全国に存在す、之等は統制連絡のあるものあり、無きものあり、大掴みに観察してバラバラの存在と見做し得、而もこの官公私の研究機関に従事するものは現段階に於ける輿論の供給者として、且(*つ)重要性を将来に加増せしめつつあるエキスパートの集団として、障害と困難のため大を押し切って軍部は獲得に努力すべきかの之を(ママ)前記したるブレイントラストの一翼とするも可、陸軍省調査班をして中心たらしむ過渡的法案を採るも可、妥当にして可能なる最善の国案を樹立する上に樹立せられたる新法案を大衆信頼に基礎づけるために而してブレイントラストと共に輿論を統制するために現在調査機関を全国的に連絡せしむる必要を痛感す

   八、各種の民間新興団体を統制すべし

 軍部の動員が暴力革命の動因たることは近世史の明示するところの改革日本の政治過程を健全に前進せしめんと称せば軍部の上下一糸乱れざる結束の下に断乎たる改造の決意を透徹遍備するを要す  三月事件、十月事件、五・一五事件の経験が示したる所謂白足袋革命論(*白足袋を履いて羽織袴でいるような老重臣・要人の暗殺による革命という意味か)の誤謬は社会主義運動十余年の歴史が示す大衆革命論の無駄骨と共に実践に価値なく且(*つ)危険なる卓上戦術なること既に自明たるべし、過誤は反復すべからず、満洲事変以来簇生(*叢生)したる各種の所謂右翼団体と同じく諸多の社会運動団体とは前記したる日本改造案大綱の確立による政策的統一と軍人の決意を根基としたる人的統一とによって一大統制を加ふるべし、夫々の戦略論に則って思ひ思ひの軍部連絡運動をなさしむる結果は軍部内に政治的意見の分裂を持ち込み民間諸団体の分裂対峙を深大化する惧(*おそ)れ少なからず、故に軍部と民間改造諸勢力との接触関係は鉄の如き規律と国家改造の原則に従い近く大同団結せしむるを以て目標として遺憾なき指導援助を与ふべき従来の個別統制の連絡関係は軍の内外に亘って改革すべし、民間の改造諸勢力は改造断行に際し、無視すべきものに非ず、同時に之等諸団体の現状は、自力更生と自発的提携により大同団結せしむること決して不可能にあらず、軍部の加護統制を必要とする所以

   九、好意的中立派を増加拡大せしめよ

 日本改造の政治過程を漸進円滑ならしむるためには敵と味方とを判別するに聡明なることを要し、味方の勢力を結集強化せしむると同時に中立勢力を増大せしむるを要す、上述したる諸事項中には味方の勢力たるべきものも多々あるべし、既成政党に対する財閥の資金援助を不可能ならしむる方策を講ずるは政治の力関係を分裂せしむる上に是非共努力を要することなり、政治的危機の増大に伴ひ惑乱動揺の拡大と共に中立勢力への参加者を加増せしむる方策は資本勢力の必死的努力あるものとして計算すべし、中立派には好意的中立派と悪意的中立派に二種あり、軍部は民間改造諸勢力の中の小児病的分子の策動を抑制し、中立派をして敵陣営に移行せしめざる様細心の工夫を要す

軍部当面の非常時対策は尚度々あるべし、未来は凡て暗示を以て語るを行ふ人にあり、叡智果断の人材は期待するのみ -了-

・・・(前掲、秦郁彦先生著「軍ファシズム運動史**」付録資料17、354~359頁より) 

   こうした方向性の積み重ねが、戦前の日本を一つずつ形作っていったのです。(今回はここまで)