前回はフランクルの、「意味への意志」こそが人間の根源的欲求であるという話を紹介した。そして意味と価値は、可変的属人的であり、多様なものであって、ホモ・エコノミクス的要素は一部分であっても全体ではない、つまり生きる目的の全てがお金の追求だけではないと説いた。しかし最近の新自由主義的な考え方は、つまるところ全てがお金の追求であり、市場のメカニズムは神聖にして犯すべからず、政府も余計な規制など一切なくして、自由奔放にどしどしお金儲けができる環境を整えよ、さすれば能力があり努力する人々は成功してお金持ちになるであろう、それはつまり幸せになる?はずである、ということを言っているのではなかろうか。でも、果たしてそれは本当なの?本当に本当に本当なのか?と考えてしまう。


明治維新以来、殖産興業、富国強兵を国是として邁進した近代日本には、それを産業面で支えて実現した多くの企業家がいた。これには旧家の三井や住友、あるいは新興の三菱などの財閥も寄与したのだが、しかし、幕末まで鎖国により国際社会から取り残されていた日本は、急速に海軍を建設し、当時はまだまだ西欧列強の帝国主義、植民地拡大の強圧下において、なんとか日本の独立を維持しなければならないという熱い信念と深刻な憂慮が我が国を満たしていたのである。もちろん新規事業を興すには採算が必要であり、儲けて株主に配当しなければならない。しかし、1990年代以降の、株主に如何に短期間に高い配当をするのかが目的だというような考えとは、当時は一線を画すものがあった。謂わば、全ては日本のため(当時の用語法では「お国のため」)であって、日本という坂の上の雲を目指して急速に駆け上らねばならぬ国に必要と思われる事業を興すことは、短期的な目先の利益のためではなく、国家国民的必要が重なりあっていたのである。繊維工業は固より、製鉄、電力、化学、鉱業、造船、機械など、軽工業から重化学工業の確立により、強力な近代的国家に生まれ変わる必要性があったのだ。


当時の株主、というよりも戦後も恐らく1960年代くらいまでの株主は、企業の持ち合い株も含めてだが、株の配当で一発当てて大儲けしてやろうという人々が主流ではなかったと思う。この事業は日本のために、或いは世界のためにも必要なものだから、私たちは応援するために出資するのだという人々や企業が少なからず存在した。むしろそれこそ真っ当な株主であったと言っても過言ではない。それが、レーガノミクスの頃からか、ケインジアンを批判して台頭したフリードマンの新自由主義が、こうした考え方や構造を転換し、現代のお金万能の拝金主義とも言えなくはない「グローバル・スタンダード」なるものを現出させたのである。それに伴って、上述のような旧来の日本的システムは、非関税障壁だ、閉鎖的で旧式だ、これでは発展しない、世界に負けてしまう、政府による護送船団方式は自由競争を阻害する反自由主義だなどの批難にさらされ、日本は急速に舵を切って、その「グローバル・スタンダード」という名の「アメリカン・スタンダード」に一刻も早く身を委ねなければならないという構造改革の嵐に突入したのである。


わたしは個人的には小泉さんのファンなのだが、しかし構造改革の結果はどうなるのだろうか。規制緩和し、新会計基準や新会社法を導入し、潰れそうな商店街は看取って野辺送りし、外資系の企業を受け入れ、それで、それで、日本の産業は再生して、今一度経済的繁栄に向っているのであろうか?本当に本当に向っているのか?むしろ、戦後日本の発展を支えた、製鉄、造船、自動車、家電などの主力産業が、どんどんそのノウハウや製造技術、果ては技術者までが、中韓をはじめとする後から追いかけて来た国々に流出し、円高などの要因はあるとしても、生産設備や生産工場がどんどん国外に流出して、国内雇用が失われ、その結果どんどんドーナツ化の空洞現象が広がり、大企業の内部留保は蓄積されているかもしれないし、団塊の世代以上のよく働いた皆さんの貯蓄はある程度溜まったかもしれないが、一体これから先はどうなるの?ということになっているのではないか。国内に産業が育たなければ、雇用も生まれないし、経済が活性化したり復活することはあり得ないわけだから。


アベノミクスは、一生懸命かつ強力に、新規事業、新規産業の勃興を促す手立てを提供しようとしている。しかしそれは、上述の新自由主義の前提によってである。つまり規制緩和し、金融緩和し、投資減税し、経済特区を造れば、旺盛なる企業家精神を有する新規事業家、あるいは企業内起業家(アントレプレナー)をどしどし湧出させて、その民間活力により産業と経済を再生・繁栄させようという戦略なのである。しかし、本当に本当に、こうした環境与件が全て整えば、こうした新規事業家・起業家がどしどし湧き出してくるだろうか?そこに実は本質的な問題があるのだ。


日本の企業社会は、いろいろな制度が変わったり導入されても尚、やはり減点主義の構造から脱しきれないのだ。敗者復活もなく得点主義でもなくて、減点主義なのだ。だから何かやって躓くよりも、何もやらない方が得なのだ。しかしやっている振りはしなくてはならない。だから人を批難し蹴落とすことに全力を捧げることになってしまう。つまり自分自身はなんら生産的肯定的発展的寄与や業績を挙げなくとも、自分の部下や部門が業績を挙げればそれを自分の業績とし、部下をコントロールするために、アラを探しては指摘して指導と称して批難攻撃し、蹴落とす。そしてコスト削減と称して躊躇なく首切りをし、それをまた勲章にして、如何に部下に対して厳しく強力なリーダーシップを発揮しているか、イコール経営者の能力が高いかを誇示して、出世してゆく。そうすれば、自分がドツボに嵌ることは避けつつ、名声を積み重ねて出世できることになる。これはあんまりにひどい極端な例、カリカチュアかもしれないが、真実を知る大半の人は、心の中でうなづくことであろう。こういう会社環境の中で、誰が「起業家」になるだろうか?


もうひとつの障碍は、「ネガティヴ・チェック」や「三年ルール」の様な、如何にも厳しく有能に査定してますよという社内審査、銀行審査のシステムである。何か新規事業を興そう、起業しようとすると、必ず社内審査機関という事務局が出てきて、この新規事業案にはこんなに沢山の欠点や漏れ、そして何よりも「リスク」があるとのたまう。どんなアイデアも赤ちゃんと一緒で、最初はひ弱なものである。それをいきなり大の大人が取り囲んであれダメ、これダメ、これもダメ、とダメ出し攻撃の十字砲火にさらされれば、まず生き残れない。おまけに、三年以内に黒字が出なければ、幼児といえども殺してしまえという「三年ルール」が待ち受けている。しかし、明治の殖産興業の歴史を読めばわかるが、新事業・新産業というものはそんなに簡単に立ち上がるものではない。もし、歴史を遡って明治以来の全新事業に「三年ルール」を適用すれば、殆ど何も残らないのではないか。これも背景には、新自由主義とROIだの投資収益率だの、つまりは如何に短時間で極大の利益を挙げて株主に高配当をするかという評価基準・価値基準が大きく影響しているのである。


確かに健全で堅固なる財務基盤の上に経営されることは銀行にとって大切であろう。しかし、銀行・金融機関までもが、短期間に高収益を挙げ続けなければならないという桎梏を嵌められれば、当然安全堅固な企業や事業にしか融資しなくなる。リスクは極力避けることになるのは当たり前だ。しかし、起業・新規事業・新産業を興すには資本がいる。それも三年で上場させて売り払って巨万の富を得ることを目的にしているようなファンド・マネーではなく、本当にこの国のために、地域のために、或いは世界のために必要な事業を行い、日本国民を雇用して家族を食わせる、その事を長期的観点から支えるために、資本を出す、投資をするような、かつての日本に存在した株主や資本家が必要なのである。金融機関であっても然りである。かつての日本興業銀行や日本長期信用銀行、そして政府系の日本開発銀行(復興金融公庫)は、それぞれその時代の要請に応え、1960年代の日本の成長を支えた長期金融の柱石であった。彼らは天下国家を論じ、これからの日本にとって必要な産業は何か、何を育成してゆくべきかを真摯に考えていた。こうした銀行は、今は存在し得ない。(後進機関は存続しているが)つまりは、銀行も儲けなければならないからである。さもないと金融庁に叱られることになる。しかし、本来に立ち返れば、「金融は産業を支え育成する土壌・栄養」ではなかったか。元々の資本主義産業社会では、銀行の社会的使命は自分自身が高収益を挙げることではなく、企業・産業を支えて繁栄させ、結果として利子・利得を得ることにあったのではないか。その根本の金融機関のレゾンデートル・存在意義が、新自由主義により変質させられたことが、そもそも私は大きな誤りであったのではないかと思う。


かくして、如何にアベノミクスが懸命かつ強力に、投資環境や新事業振興の基盤や環境を整備しても、肝心のその第三の矢を用いて弓を射る者が、果たしてどれだけ湧出して来れるか、憂慮に耐えないのだ。政治家や政府・官庁は、民間活力を頼りにしているが、その効率的かつ資本主義の根幹たる民間企業の中身がどうなっているのかを知れば、民間に頼って全てが解決するとはとても思えなくなるのではないか。私はむしろ、資本は国が出し、経営は民間出身者が行う形態の新国営事業を興したほうが手早いのではないかと思う。そしてNTTやJRの様に、ある程度立ち上がれば、株式上場して売れば、国も儲かるのだ。これは突飛かつ時代錯誤だなど、すぐに批判が聞こえてきそうだが、「批判のための批判」は批判するとして、偉大なこの国の先例を思い出して戴きたい。そう、明治初期の官営八幡製鉄所がそうだ。明治の先賢は、このやり方で、簡単には立ち上がらない後進国の工業化を果たしたのだ。これから21世紀の新しい産業文明を支える新産業・新事業を興すには、明治初期に見習うのも、また良いではないか。

次回は21世紀の産業文明について考えてみたい。