一番左が谷あゆみさん、私が抱っこしてるのが谷さんのベビーボーイ、そして右となりが『十勝馬文化を支える会』の専務理事・つむじ丸さん


地方競馬全国協会に登録する4人の女性調教師の中でも子育てと調教師の両立を計る全国初のママさん調教師、谷あゆみさんの厩舎を見学、そしてインタビューもさせていただきました。


谷さんは、ばん馬の祖先である農耕馬が、北海道で活躍していた時代を描いた『赤べえ』という絵本(旋丸巴氏著)の挿絵を描いたことでも知られていて、アーチストとしての才能も持ち合わせた、素晴らしい女性。

★なぜ調教師になったのか?

<谷さん>

「午(うま)年生まれだから、馬を描いてみたら、と父に言われ、3歳の頃から見よう見まねで馬を描いてみた。描いているうちに馬が好きになった。その頃は触れ合う事は少なく、物語等で馬が出てくる場面が好きだった。また、ムツゴロウ王国などをTVで見て憧れ、『絵をかきながら動物に触れあえうことはできないが、動物に触れ合いながらは絵も描ける』と思い、帯広畜産大学に入学した。その後名馬「シンザン」のいる牧場に就職、「シンザン」の担当となった。その頃、ばんえい競馬を見て大好きになり、週末ごとに観に行くようになった。」

そんな中、「ばんえい競馬 厩務員募集 女性」という告知を見て、すぐに応募した。(27歳の頃)

その頃売り上げが減少し、廃止に対して存続のムーブメントが起きていた。馬の働き口を確保したい一心で、調教師になる決心をし、試験を受けたら、1回で合格した。(普通は2、3回落ちる)

受かるとは思っていなかったので、馬が引くソリが一台もない状態からスタートした。(調教師がすべて用意しなければならない。)


調教師になったことで、ばんえいの存続運動に対して自由に動けたことが大きかった。

厩務員では雇われている身なので、自由に意見を言えなかった。

 

★調教師として・・・

<谷さん>

→調教師試験に受かった時に、「女だから受かった」と言われた事もあったが、当時の先生の梨本さんがかばってくれた。今でも、「体が小さいために出来ないなど、肉体的な原因なら仕方がないが、『女だからできない』と言われるのは絶対イヤだし、技術的に劣るのは絶対イヤだと思っている。

 

→まずは10頭枠からスタートしたが、調教師というのは個人企業と同じなので、自分で馬主に働きかけ、預けてもらう馬を開拓しないといけない。

 

→調教師試験では、例えば馬面のつむじの白い模様を読むような問題も出る。(レースに馬を間違えて出したら重大事件になってしまうため)

 

→優秀な厩務員さんに助けてもらっている。

 

→調教師はあくまでも司令塔的な役割で、レーススケジュールを組み立てたり、監督的な要素が強い。

 

→去年の五月、パドックで馬が暴れ、前足でつつきまわされて打撲になったこともある。

→給餌時に、頭をかじられ、血だらけになり、何針か縫ったことがある。

★結婚は?

<谷さん>

→当時付き合っていた彼が「子供がほしい」と言ったので、「では出来たら結婚しましょう、出来なかったら今のままでいましょう」と言ったら、子供ができたので結婚した。

 

→ご主人は10歳下で、子供が生まれた5月から暮らしているが、今までに2,3回しか喧嘩をしたことがない。

 

★子供を出産して・・・

<谷さん>

→46歳で子供を出産。子どもを産んでから顔つきが変わった、優しくなったと言われる。

 

→子供ができてナイーブな優しい面を見せることができるようになった。

 

→「地震・雷・谷あゆみ」と呼ばれていた。(それくらい怖かった)

 

→子供を産む前までは、自分でバリアを張っていた。

ばんえいの世界は職人さんの世界で荒っぽい事もあり、弱みを見せないように、また、やられてもつぶれないように肩肘を張って生きてきた思いがあった。

 

→今は子どもの世話に追われ、馬には触れる仕事はせずに、レースのアレンジを中心にしているが、馬が実際レースに勝って稼いでくれて実績を出してくれていることで、なんとか成り立っている。

 

→長男は辰年に生まれ、自分は午年なので龍馬(たつま)君と名付けた。

yk