今日は王子からだ。何故か今日は受付が11時までで、ギリギリに着く。そのせいか、いつもより人がいない。「鉄道好き集まれ!自然と歴史と文化に触れる鉄分濃いめのよくばりコース」とある。案外鉄道にあまり皆さん興味がないのかなと思いつつ地図をもらう。今日は、クイズがあるのでやってみて下さいと。ストラップもいただく。 王子駅は崖みたいな所に立っているなとは思っていたのだが、線路下をくぐり飛鳥山公園の階段を上る。


                 王子駅


渋沢のテーマパーク王子という幟が立っていて、どういう関係があるのか調べると、設立に関わった王子製紙を眼下に見渡せるこの飛鳥山に渋沢栄一の邸があったのた。王子という地名が先なのかわからないが、ここに王子製紙があったとは知らなかった。江戸享保年間に、行楽地として整備され桜の名所の一つらしい。浅草、上野、芝、深川の公園は寺社の境内を公園にしたこともあって敷居が高かった。飛鳥山は、庶民の行楽地として人気だったのだ。ただ交通の便で劣り容易に足を運べないという不利な点は大きく、鉄道の開通で、飛鳥山の麓に王子駅ができ、さらに賑わいは増していったという事だ。でも、少し都心から離れているというので、今もあまり知られていないかもしれない。

鉄旅の様で、コースとして渋沢栄一には触れていないので、旧渋沢庭園については書いていない。行ってみたかった所だ。佐久間象山の櫻賦の碑があって弟子達によって建てられたという事だ。



                 飛鳥山


          佐久間象山櫻腑の碑


SLや都電車両が展示され、公園では子ども達が遊んでいる。都電は昭和53年まで荒川線として走っていたもので、最初は王子電気軌道株式会社の私営だったのが、都に譲渡され都電となった。ここにも王子という名前が出てくる。SLはD51だ。



                  都電


                 D51


飛鳥山を下り、また線路に向かう。飛鳥山下跨線人道橋を渡る。王子駅と飛鳥山公園を結ぶ跨線橋で。橋の下にはJR京浜東北線、上野東京ライン、湘南新宿ラインが通り、行き交う列車を、見ることができる。次々にやってくる姿にワクワクする。さっきから、何だか撮り鉄になったような気分になる。



          飛鳥山下跨線人道橋




それからは都電に沿って歩いていく。住宅地の中を都電は走っていて、2車線ある。塀沿いに椿の花が植えてある。次々に電車が来るが、どれも違った装飾がされていて同じではない。梶原あたりでは昔ながらの店などもあり、塀沿いにはバラ並木が続く。線路沿いだけでなく三ノ輪橋までずっとある様だ。

次々に都電の写真を撮り、撮り鉄になった気分だ。中井精也さんの「てつたび」が好きで、よく見ているのだが、ぱっと見て構図を決める才能がすごいと撮ってみてわかる。電車の時間も調べたり、来るのを待ったり大変だ。その時間も含めて鉄道が好きだから楽しんでいるのだろうが、いつもその写真に感動する。



                 梶原駅




しばらく線路沿いを歩くと都電おもいて広場がある。停車場をイメージしたスペースに都電の旧型車両が2両展示されている。平日は入れないが、係の方が待っていてくれた。



           都電おもいで広場


都電から北に反れて、隅田川に向かうとあらかわ遊園がある。1922年民営として開業し、戦後は1950年に荒川区営として再開園した歴史ある遊園地なのだ。隅田川沿いで観覧車からの景色は素晴らしいだろうと思いつつクイズに答えて先に進む。ボートのりばの看板もあり、隅田川でボートも乗れるのだ。



             あらかわ遊園


細い路地を行くと、荒川遊園煉瓦塀が残っている。あらかわ遊園開園時に敷地を取り囲んでいた大正時代の一部で近代的な景観が見て取れる。今は、住宅の中にひっそりと立っているが、戦争にも耐え残っているのはすごい事だ。煉瓦は火災にも強いのだろう。



            荒川遊園煉瓦塀


隅田川に出て土手を歩く。尾久八幡中があって、近代的で学校とは思えないかっこいい建物だ。東京の新しい学校は案外個性的で、昔のコンクリート製の箱型の建物ではなくなっている。



               尾久八幡中


              尾久橋を望む


荒川区立宮前公園がある。広い敷地にはバラ園、遊具もあり図書館もある。隅田川の堤防からの眺めも良く区民のくつろぎの場となっているのだろう。この辺りが中間店だが、店がない。堤防を先に進む。



            荒川区立宮前公園


次に隅田川旧防潮堤を見に行くのだが、高架をくぐったあたりからは、浄化センターや、水道関係の施設が続き、区民の水を支えているのだろう。対岸に大きなマンション、高速道路も見える。ここを歩いているのはこのイベントの人達と思われ、次々と歩いている。横断歩道を渡らせる為、遠回りになっていてUターンしてくるので良くわかる。風が強くなってきて地図が吹き飛ばされそうだ。都は隅田川の高潮、洪水に備える為、昭和32年から50年にかけて防潮堤を作り、危険性は減ったものの川と町が分断され隅田川と人とは隔てられてしまった。現在、川と親しめるスーパー堤防へと造り変え、前の防潮堤を後世に残す為一部を保存しているのだ。尾久原桜草という昔の絵図には隅田川の船から白魚を取り、河岸では桜草を摘む行楽客が描かれているという。憩いの場としての河川を目指して、スーパー堤防というものが、造られつつあるというのは驚きだ。歩いてきて気持ちのいいものだった。



            隅田川旧防潮堤


戻って南に向かう。東京初空襲の地がある。住宅の中に看板だけだが、ここから始まったのかと思うと感慨深い。昭和17年4月18日爆弾3個と焼夷弾1個が投下された。死者10人負傷48人全焼43戸の被害がありこの空襲を機に尾久橋通りが整備されたとある。関東大震災、戦争を経て今があるのだ。



            東京初空襲の地


そこからは、その整備された道から少し入った通りを行く。はっぴいもーる熊野前商店街だ。王子辺りも良く賑わう商店街をテレビでも取り上げられているが、この先にも、おぐぎんざ商店街があって、駅を降りたことがなかったから知らなかったが、町に根付いた昔からの賑わいがある所の様だ。都電が走っているのもうなずける。

はっぴいもーるは、大正時代付近に温泉、花街があった事から店が集まり、戦後は町工場で働く人と家族を支えてきたという事だ。渋沢栄一の王子製紙からの工場誘致、鉄道の敷設から人が集まり出し、栄えてきたのだ。



       はっぴいもーる熊野前商店街


途中に杉野中尉殉難遺跡の碑がある。大正6年杉野中尉の飛行機が尾久村に墜落した。ここも、日本の航空機初期の事故として知られ、追悼碑が建っている。水田の中にとあるから、その頃は田舎だったのだろう。



           杉野中尉人遺跡の碑


おくぎんざ商店街は、歴史の長い店が多く、昭和レトロな雰囲気で、はっぴいもーるから、850メートルも続く賑やかな商店街となっている。昭和にタイムスリップした様で、肉屋、花屋、八百屋、惣菜屋と屋と付くようなお店が並ぶ。この辺りでお昼を食べないとと思いつつ進むと、うなぎ屋さんがある。国産うなぎでランチはお手頃だ。入ってみると、お客さんがいっぱいいる。女性1人の人が3人もいて、何となくこのイベントの人の様だ。お茶が美味しい。おかわりをいただいて、うなぎも美味だ。満足、満足。



           おぐぎんざ商店街




明治通りを横切り、高架をくぐる。マンションが多い。田端駅の方に向かう。ご夫婦が、もう先に行かないで、田端で終わりにしようという声がして、駅からハイキングは、そんな事も可能だからいい、ゴールは尾久駅で線路沿いを行くが、線路が何本も何本もある。地図を見ると高崎線と京浜東北線の真ん中を進んでいる。JR関係の事務所も多く線路の中に道がある感じだ。駅の側に、何故か貝塚があり面白い。

駅へは地下道を通って行くのだが、その地下道がかなり長い。高崎、宇都宮線で、尾久駅を通る時線路がずっと続いているのを見かけていたが、その下を通っているのだ。片側は町が見えなくて、どうなっているのかが今日わかった気がする



                中里貝塚    

              尾久駅地下道


                尾久駅


尾久駅に到着。今日は鉄ちゃんになった様な気がする。王子という町に色々な歴史があったのも驚きだった。隅田川沿いの景色も爽快で、鉄道に親しみ、美味しいうなぎも食べられた。9キロの道のりは疲れる程ではなくまた、違う楽しみを発見したハイキングでした。