先週に続いて今日は駅からハイキング、飯田橋駅からだ。「レトロとモダンが息づくまちかど、飯田橋から始まる秋の末散歩」
楽しみだ。

地図を配る10時頃に行ったせいかこの間より、人がどんどん集まって来る。何だか団体さんの様に行くのもと思うが、線路を越え神楽坂下から坂を上って行く。



                飯田橋駅


食べ物屋さんが多い。神楽坂上で下る。道を入った所はマンションが多い様だ。神楽坂の由来が書いてあって、穴八幡の御旅所で神楽を奏したから、津久戸明神が移ってきた時神楽を奏したから、若宮八幡の神楽が聴こえたから、赤城明神の神楽堂があったからなど、どれも神楽に関係しているが、みんなあっている様な気もする。

信号待ちをしていると、地図を持った人が話しかけてきて、足が痛いから歩けなくて、どんどん追い抜かれて行くとか言っていて、参加できているのだから大丈夫なのだろうと、失礼してお先に。



             神楽坂下から


毘沙門天善國寺がある。江戸時代この寺が移転したのを機に大きく発展し、関東大震災後は新宿より栄え山の手の銀座と称されたとある。知らない事は多い。昔からの店も残っている感じもあってその名残なのだろう。皆さんが次々写真を撮っている。



            毘沙門天善國寺


地下鉄の神楽坂駅辺りから落ち着いた雰囲気になり、昔からの八百屋さん、豆腐屋さんもある。周りはマンションが林立している。上ったり、下ったりしながら進む。



           地下鉄神楽坂駅付近


早稲田の方に向かい、漱石山房は、表通りから少し入った所にある。一戸建てが並ぶ閑静な場所だ。近代的な記念館もあって入ってみる。書斎が再現されていて、2階にはゆかりのものが展示されている。初版の本の装丁など、昔の本はおしゃれで綺麗だ。漱石ゆかりの野上弥生子の物も多くこの間三溪園に行ってきたせいか、展示物の量からいうと少し入館料500円では高い感じがする。(三溪園900円)明治40年から、9年ここに住んだ様で、転居を繰り返した漱石としては長く住んだ所となる。外に建物の基礎、猫のお墓があって建物が残っていないだけに味わい深い、

昭和20年の空襲で消失したという。




             漱石山房記念館


        漱石の書斎を再現したもの


          建物の基礎と猫の墓


さっき来た道を戻る感じで、さっき気が付かなかったお菓子屋さんに、鮎の天ぷらもなか、と書いてあって、興味をそそったがどれも1つ350円位している。買わずじまいになってしまった。

赤城神社は、近代的な神社で有名だ。日枝神社、神田明神と共に江戸の三社と称された。



               赤城神社


大久保通りを下ると、筑土八幡神社がある。階段を上る。応神天皇、神攻皇后、仲哀天皇を祀る神社。すぐそばに前に来たお店があって、ここだったのかと納得。



              筑土八幡神社


小石川後楽園に行くのだが、何故か簡単なのに、道が違ってしまったがこの間来た事もあって、辿り着く。緑地を歩くとあり、木々に囲まれ、ビルの中ながら癒される。



             小石川後楽園


               脇の緑道


水道橋近くの橋を渡るとホテルメトロポリタンがある。特典とかがあって、駅ビルにメトロポリタンがある事も多く、JRと関係があるのだろう。ホテルの間を通るのだが、整備されて、いい感じだ。



           ホテルメトロポリタン


             


中間点が小石川後楽園で、この間より少し楽なので、あまり疲れていない。でも、お昼時間だなと

広い道路に出た所に、豊洲直送のノボリがあって、数人並んでいる位なので入る事にする。メニューを決めておいて下さいと見てみると、夜は居酒屋になる様だが、海鮮と、鯖、鮭の定食などがある。焼き物は千円位で、海鮮は、2千円弱。しあわせランチというのがあって、出てきた時にお客さんが量の多さにおおーと、しあわせになるからとか書いてある。それにしてみる。隣の人の兜煮もおいしそうだった。ただ人気があるのか、女性客の話し声が、ここはいったい何処なのかと思う程騒がしい。テンションが上がってしまう店なのだろうか。美味しくいただき、しあわせに。
台所町の案内碑が立っていて、この辺りは江戸城の台所衆の屋敷があり、台所頭、台所衆の役人が住んでいて、その後旗本の屋敷になったようだが台所坂、台所町の地名は残ったという事だ。由緒ある所で食べたのも何かの縁かなと。




               台所町碑


九段に入るとビルが並び、お昼時なので、人が多い、何か変わった建物があるなと進んでみると、旧九段会館だった。昔ここで、コンサートとかを見に来た事があったのに忘れている。前面の低層部分は、軍人会館として作られたもので、戦後九段会館として親しまれてきたとある。軍人の為のものだったとは。今は表にキッチンカーが出ていて、多勢が買っている。貝塚の碑もある。海は近かったのだ。


              旧九段会館


                貝塚碑


千代田区役所や、病院などが続き、少し静かになる。北の丸公園の清水門から中に入る。江戸時代の遺構として、門から北の丸に至る石段と共に江戸時代の状況を色濃く残していると書いてある。確かに、石積みを見ている人がいて、その存在感はすごい。石段は広い幅で、少し歩きずらい。公園内のベンチでは、サラリーマンがお昼を食べたり、昼寝をしている人もいる。江戸時代のお役人が見たら驚くだろう。この前は田安門から入ったのだが、同じ所に行くにも道が違うと別ものなので楽しめる。

今日は修学旅行生がいっぱいいて、武道館はグレイのコンサートが開かれる様で、この時間から

グッズが並べられ、スタッフが打ち合わせをしている。早くからお客さんが来るのだろう。田安門から出る。



               清水門前   


                 清水門


               日本武道館


北の丸公園また来たいと思っていたらもう来てしまった。広々として気持ちがいい。同じ所でも見落としたところもあって、田安門の前の塔は高燈籠という明治時代、靖国神社の燈籠としてつくられたものだった。九段坂上に造られたので、品川沖を出入りする船の目印として東京湾からも望む事ができ灯台の役目も果たしたとある。逆に、ここから海が見えたわけだ。

九段という名前も、昔はかなりの急坂で、途中に段が築かれていたが、関東大震災後の復興で緩やかにしたのだという。この間も安藤坂も緩やかにしたとあったが、やっぱり坂はいつの時代でも大変なのだ。



                高燈籠


その前の靖国神社に向かう。この間は、鳥居の前で行ってしまったが、もう終点が見えているのでゆっくり参拝することにする。今日もイチョウの紅葉がきれいだ。靖国神社が永久戦犯の合祀の事で揉めているのは知っているが、どういう神社なのかわからなかった。1869年(明治2年)に明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社が始まりで、国家の為に尊い命を捧げられた人々の御霊を祀り、その功績を後世に伝える事を目的に創建されたとある。戊辰戦争を経て、明治天皇が造ったのだ。銅像が聳え立っていて、いったい誰のだろうと、行ってみると戊辰戦争で功績のあった大村益次郎だった。明治2年に亡くなっているのだが、戊辰戦争の戦没者を祀る靖国神社の創建に尽力し、この年この地を視察に来た記録も残っているという。その後、次々と戦争はあったが、益次郎は何というだろう、



           大村益次郎の銅像


社の近くには、皇族馬乗の看板があり、入り口近くには馬乗とだけ書いてあるものがあって、位により位置の違う所で降りたのだとわかる。



                靖国神社

  

今日も天気も良く、暑くも寒くもないので、参道の周りに休むところがあって、皆さんが寛いでいる。ドリップコーヒーの自動販売機もあって、カフェのテラス席に座った様な感じで、イチョウの紅葉を眺めしばし時を過ごす。喫煙所もその先にあったのは今時だ。神田川に向かって下りとなる。九段中等教育学校があって、ちょうどそこにいた人達がここって九段高校があった所だよねと話しているのが聞こえ、中高一貫校になったという事なのだ。九段高校出身の友達がいて、ここに通っていたのかと、羨ましい限りだ。



                参道にて


東京大神宮がある。東京のお伊勢さまとして知られる神社だそうだ。江戸時代伊勢神宮の参拝は生涯をかけての願いだった事から、1880年伊勢神宮の遥拝殿として創建され、良縁を願う参拝者が後をたたなかったという。中々考えるものだ。



               東京大神宮


ポイントは、飯田橋近くの牛込見附跡で終わりだ。神楽坂から外堀を渡り江戸城に入る位置に設けられた門だ。赤坂見附から牛込橋に至る堀や土手の遺構は国の指定史跡となっている。正面と後ろの石垣は牛込見附の一部で、敵の侵入を発見し防ぐ為見附と呼ばれたのだそうだ。そういう事なのだ。



              牛込見附跡


飯田橋駅に到着。あんなにいた同じ仲間もお昼頃から全く会わなくなって、皆さんゴールしたのだろうか。この間より少し距離が短いながら、割とゆったり進む事ができた。まだまだ東京は、知らないことばかり。江戸の情緒も残っている。また、参加したいなと思える一日でした。



               飯田橋駅