元ハロプロ研修生北海道の佐藤光は
2004年4月19日生まれなので
本日16歳になりました
2016年にハロプロ研修生北海道に加入し
2017年 2018年 2019年 の
公開実力診断テストに参加しました
らぶゆう は
2020年4月3日に66歳になりました
ここで以前から言っていた
らぶゆう三原則 についてちょっとだけ
1:らぶ遊
仕事や勉強だけの人生だったら
つまらないですよね
人生の楽しさもそうですが
人間の幅というか器というか
遊びによって形成されるんだし
遊びには融通や余裕って意味もあります
ブレーキに遊びがなかったら
ものすごく危険です
2:らぶ言う
やたら不言実行を美徳のように
言う人がいますが
言いたいことは言わないと
気持ちは伝わらないし
社会や組織も変わっていかないと思います
大切なのは言う言わないではなく
言い方を工夫するというか
表現力の問題でしょうね
まぁそれが難しいし経験値もいるんですけど
それも言わないと得られないわけです
3:らぶ友
自分 I 以外の相手は
すべて You なんですよね
だから 友 なんですが
異なる文化思考価値観を理解する
ってすごく重要だと思います
さて 1961年から2015年までの
ほとんどの期間
学校に通ってました
家族全員が学校に通っていた
という時期も結構あります
そして
1959年から1973年まで
学校に住んでました(w)
だから1961年から1966年までは
雨の日でも傘なしで教室まで行けました
1967年からは中学校に通うので
はじめて通学という経験をしました
この時代
TVはチャンネル選択権がないし
レコードとかはとんでもなく高価だったので
あまり音楽文化に接する機会がなかったのですが
ある日中学校の校内放送で
不思議な曲が流れてきました
既存の歌謡曲とはぜんぜん違うし
もちろんクラシックでもジャズでもない
この頃から日本の芸能界も変わり始めましたね
ビートルズなどの洋楽の影響を受けて
自分たちで曲を作る人たちが多くなり
グループサウンズがたくさん活動してました
その影響を受けて
歌謡曲もムード歌謡が増えました
そして1968年にオリコンが創刊されます
その最初の1位曲が
ラブユー東京 でした
年度末 ってことで
最終回(w) なんですが
明日から始まる
らぶゆうの遊友60年史
のほうでも必ず出てくるはずの
音楽を聴くためのツールの変遷
について少しふてれ置きましょう
1970年代ころまで
音楽を聴く手段 といえば
ラジオ テレビ が1番多く
ついで レコードを再生する でしょうか
もちろんライブやコンサートは
ないわけじゃないから
経済的に余裕のある人には可能だったでしょう
CDというツールが出てきたのは
80年代でしたが
普及したのは90年代になってからでしょうか
それでもまさかと思うくらいの速度で
既存のレコードを駆逐してしまいました
意外としぶとかったのが
70年代くらいに普及してきたカセットテープ
♬古いカセットテープ巻き戻して聴いた
なんていう歌詞が1998年五なってもありました
ところが21世紀に入ってからの
ツールの変化はすざまじい
MDなんて出たと思ったら消えてしまったし
市場に出ることすらなかったものもある
DVDやブルーレイも登場してくる中で
全盛を誇ったCDが2003年以降は
売れなくなっていくわけです
そうした中
CDはキャバクラ商法の
道具でしかなくなっていった気がします (完)
中澤裕子は2001年に
モーニング娘。を卒業しましたが
2009年3月まで
初代ハロプロリーダーでした
当時はユニットを卒業しても
ハロプロメンバーとしては
残ることが多かったのです
娘。卒業後はおもにソロ歌手として活動し
名義も 中澤裕子 に統一しました
裕子ライブのレポがなかなか書けない(爆)
18日のあややライブは会った人が少ないので書きやすいけど1日の豊田ライブと15日のCBCはあまりにも多くの人に会ったので・・・
裕子コール派とアンコール派の論争?がおきてましたね別にどっちでもいいと思いますよ
好きなほうをコールすればいいしあとはその場の雰囲気で強いほうが勝つだろうし他人にまで押し付けることじゃない
洋楽ではアンコールはタブーというのもよくわからない裕ちゃんは洋楽じゃないんだから
From らぶゆう To rabuyu@rimnesia
11/14の市民会館のライブでは
ほぼ裕子コール一色でした
2002年の11月14日
名古屋市民会館で行なわれた
追加公演にいってきました
トークがうまいので
客席との一体感があり
初恋 と 想い出まくら
ソロ初期の 捨てないでよ
や カラスの女房
娘。時代の Good Morning
や メモリー青春の光
ウソつきあんた など
聴かせる曲とノリのいい曲の
メリハリもあって
最高のライブでした
亜依しています は
ASAYANで4期生加入が放送された
2000年4月16日に開設しましたが
初期は荒れ気味だったこともあるのか
2001年以前のアーカイブは
文字化けしたり画像が出なかったりするので
2002年の春バージョンです
http://web.archive.org/web/20020325234758/http://niseaibon.tripod.co.jp:80/
モーニング娘。コンサートツアー2002春 は
3月30日(土):石川・石川県産業展示館4号館
4月1日(月):名古屋市総合体育館レインボーホール(夜参戦)
4月2日(火):名古屋市総合体育館レインボーホール
4月6日(土):福岡・福岡マリンメッセ
4月13日(土):大阪・大阪城ホール(夜参戦)
4月14日(日):大阪・大阪城ホール
4月20日(土):北海道・札幌真駒内アイスアリーナ
4月27日(土):埼玉・さいたまスーパーアリーナ
4月28日(日):埼玉・さいたまスーパーアリーナ
この年は大箱が多いですね
名古屋と大阪の夜公演に参戦しました
大阪の夜は心斎橋で宴会のあとに
オールナイトカラオケもありました
(つまり宿泊せずに翌朝の近鉄で帰る)
2000年の4期生加入直後のことは
見つけしだい貼っていきます
今日は2月29日
4年に1度しかない日なので
いろいろ発掘作業をしております
1997年に当時24歳で
シャ乱Qロックボーカリストオーディション
を受けた京都府福知山市出身の
中澤裕子は
1998年にモーニング娘。
としてデビューしましたが
少し遅れて演歌歌手
中澤ゆうこ としてもデビューしました
デビュー曲は
荒木とよひさ 作詞 堀内孝雄作曲
の カラスの女房
2人ともフォーク畑の人ですから
ド演歌というよりはフォークでした
ハロコン という発表の場があるし
娘。コンでも歌っていたかな
この時期ハロプロには
五木ひろしの弟子の
前田有紀もいました
2001年にはモーニング娘。を卒業し
表記を 中澤裕子 に統一しましたが
ハロプロは卒業せず
2009年3月までハロプロ初代リーダーでした