闇本山 優芽の浮橋 越えて理帆 宮崎幕府 記憶の音色       (雅没徒第6番ハ短調 hp.240) -9ページ目

闇本山 優芽の浮橋 越えて理帆 宮崎幕府 記憶の音色       (雅没徒第6番ハ短調 hp.240)

チームCm
神:宮崎理帆(研修生37期)
仏:相馬優芽(ロージークロニクル)
聖:村田結生(つばきファクトリー)
仙:平山遊季(アンジュルム10期)
レジェンド(殿堂入り)
島倉りか 浅倉樹々 前田憂佳 宮崎由加 吉川友 中澤裕子 加護亜依 佐藤光 稲場愛香 

元ハロプロ研修生北海道の佐藤光は

2004年4月19日生まれなので

本日16歳になりました

2016年にハロプロ研修生北海道に加入し

2017年 2018年 2019年 の

公開実力診断テストに参加しました

 

らぶゆう は

2020年4月3日に66歳になりました

 

ここで以前から言っていた

らぶゆう三原則 についてちょっとだけ

 

1:らぶ遊

仕事や勉強だけの人生だったら

つまらないですよね

人生の楽しさもそうですが

人間の幅というか器というか

遊びによって形成されるんだし

遊びには融通や余裕って意味もあります

ブレーキに遊びがなかったら

ものすごく危険です

 

2:らぶ言う

やたら不言実行を美徳のように

言う人がいますが

言いたいことは言わないと

気持ちは伝わらないし

社会や組織も変わっていかないと思います

大切なのは言う言わないではなく

言い方を工夫するというか

表現力の問題でしょうね

まぁそれが難しいし経験値もいるんですけど

それも言わないと得られないわけです

 

3:らぶ友

自分 I 以外の相手は

すべて You なんですよね

だから 友 なんですが

異なる文化思考価値観を理解する

ってすごく重要だと思います

 

さて 1961年から2015年までの

ほとんどの期間

学校に通ってました

家族全員が学校に通っていた

という時期も結構あります

そして

1959年から1973年まで

学校に住んでました(w)

だから1961年から1966年までは

雨の日でも傘なしで教室まで行けました

1967年からは中学校に通うので

はじめて通学という経験をしました

 

この時代

TVはチャンネル選択権がないし

レコードとかはとんでもなく高価だったので

あまり音楽文化に接する機会がなかったのですが

ある日中学校の校内放送で

不思議な曲が流れてきました

 

 

 

既存の歌謡曲とはぜんぜん違うし

もちろんクラシックでもジャズでもない

 

この頃から日本の芸能界も変わり始めましたね

ビートルズなどの洋楽の影響を受けて

自分たちで曲を作る人たちが多くなり

グループサウンズがたくさん活動してました

その影響を受けて

歌謡曲もムード歌謡が増えました

そして1968年にオリコンが創刊されます

その最初の1位曲が

ラブユー東京 でした

 

 

年度末 ってことで

最終回(w) なんですが

明日から始まる

らぶゆうの遊友60年史

のほうでも必ず出てくるはずの

音楽を聴くためのツールの変遷

について少しふてれ置きましょう

1970年代ころまで

音楽を聴く手段 といえば

ラジオ テレビ が1番多く

ついで レコードを再生する でしょうか

もちろんライブやコンサートは

ないわけじゃないから

経済的に余裕のある人には可能だったでしょう

CDというツールが出てきたのは

80年代でしたが

普及したのは90年代になってからでしょうか

それでもまさかと思うくらいの速度で

既存のレコードを駆逐してしまいました

意外としぶとかったのが

70年代くらいに普及してきたカセットテープ

 

♬古いカセットテープ巻き戻して聴いた

 

なんていう歌詞が1998年五なってもありました

 

ところが21世紀に入ってからの

ツールの変化はすざまじい

MDなんて出たと思ったら消えてしまったし

市場に出ることすらなかったものもある

DVDやブルーレイも登場してくる中で

全盛を誇ったCDが2003年以降は

売れなくなっていくわけです

 

そうした中

CDはキャバクラ商法の

道具でしかなくなっていった気がします (完)

らぶゆうの遊友60年史(1961~2020)

の連載を始めようと思います

以前連載した チャート30年史(1970~1999)

をベースに時代背景などもm時得て

東京オリンピックまでには完結するように

 

研修生21期でアンジュルム3期の

相川茉穂は1999年3月26日生まれなので

本日21歳になりました

 

2013年の未来少女オーディションを受けて落選

その後研修生21期として加入しました

2014年にスマイレージ3期として加入しましたが

2017年にパニッゥ障害?という理由で卒業引退しました

中澤裕子は2001年に

モーニング娘。を卒業しましたが

2009年3月まで

初代ハロプロリーダーでした

当時はユニットを卒業しても

ハロプロメンバーとしては

残ることが多かったのです

娘。卒業後はおもにソロ歌手として活動し

名義も 中澤裕子 に統一しました

 

To rabuyu@rimnesia 

at 2002 09/21 11:40 編集 返信

9月15日の

裕子ライブのレポがなかなか書けない(爆)
 
18日のあややライブは
会った人が少ないので書きやすいけど
1日の豊田ライブと15日のCBCは 
あまりにも多くの人に会ったので・・・
 

To rabuyu@rimnesia 

at 2002 09/21 16:10 編集 返信

なんかGMで

裕子コール派とアンコール派の
論争?がおきてましたね
別にどっちでもいいと思いますよ
好きなほうをコールすればいいし
あとはその場の雰囲気で
強いほうが勝つだろうし
他人にまで押し付けることじゃない
 
洋楽ではアンコールはタブー 
というのもよくわからない
裕ちゃんは洋楽じゃないんだから

From らぶゆう To rabuyu@rimnesia 

at 2002 11/14 23:40 編集 返信

以前あった裕子コール派と

アンコール派の論争

11/14の市民会館のライブでは
ほぼ裕子コール一色でした

 

 

2002年の11月14日 

名古屋市民会館で行なわれた
追加公演にいってきました
トークがうまいので

客席との一体感があり
初恋 と 想い出まくら
ソロ初期の 捨てないでよ 

や カラスの女房
娘。時代の Good Morning 

や メモリー青春の光
ウソつきあんた など 

聴かせる曲とノリのいい曲の
メリハリもあって 

最高のライブでした

 

 

 

亜依しています は

ASAYANで4期生加入が放送された

2000年4月16日に開設しましたが

初期は荒れ気味だったこともあるのか

2001年以前のアーカイブは

文字化けしたり画像が出なかったりするので

2002年の春バージョンです

http://web.archive.org/web/20020325234758/http://niseaibon.tripod.co.jp:80/

 

モーニング娘。コンサートツアー2002春 は

 

3月30日(土):石川・石川県産業展示館4号館
4月1日(月):名古屋市総合体育館レインボーホール(夜参戦)
4月2日(火):名古屋市総合体育館レインボーホール
4月6日(土):福岡・福岡マリンメッセ
4月13日(土):大阪・大阪城ホール(夜参戦)
4月14日(日):大阪・大阪城ホール
4月20日(土):北海道・札幌真駒内アイスアリーナ
4月27日(土):埼玉・さいたまスーパーアリーナ
4月28日(日):埼玉・さいたまスーパーアリーナ

 

この年は大箱が多いですね

名古屋と大阪の夜公演に参戦しました

大阪の夜は心斎橋で宴会のあとに

オールナイトカラオケもありました

(つまり宿泊せずに翌朝の近鉄で帰る)

 

2000年の4期生加入直後のことは

見つけしだい貼っていきます

 

 

 

 

3度目のうたコン出場なら

持ち歌歌えなくっちゃおしまい

と思ったんだけど

番組表に名前すらなかったから

またBDだけなのかな

と思っていたら

後半になって石北会の衣装に

着替えていたから

歌うんだな と思いました

しかも清塚信也のピアノ伴奏つき

7時半からの放送 ということもあって

生放送に全員で出演できたんですね


今日は2月29日

4年に1度しかない日なので

いろいろ発掘作業をしております

 

1997年に当時24歳で

シャ乱Qロックボーカリストオーディション

を受けた京都府福知山市出身の

中澤裕子は

1998年にモーニング娘。

としてデビューしましたが

少し遅れて演歌歌手 

中澤ゆうこ としてもデビューしました

デビュー曲は

荒木とよひさ 作詞 堀内孝雄作曲

の カラスの女房

2人ともフォーク畑の人ですから

ド演歌というよりはフォークでした

 

ハロコン という発表の場があるし

娘。コンでも歌っていたかな

この時期ハロプロには

五木ひろしの弟子の

前田有紀もいました

 

2001年にはモーニング娘。を卒業し

表記を 中澤裕子 に統一しましたが

ハロプロは卒業せず

2009年3月までハロプロ初代リーダーでした