チェックイン可能チェックアウトは不可能な反骨精神ホテル | Yukoのリズム...リズム...音は全てリズムでミュージックを奏でてる!

Yukoのリズム...リズム...音は全てリズムでミュージックを奏でてる!

十人十色。
我思うままに、徒然なるままに…クラッシックから邦楽まで音が奏でるものは何でも好き。雨音だってリズムを奏でてる…って感じで、様々な曲を中心にブログ投稿しています。


▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう


3月26日 プルーンの日。

ルーンで、毎月26日プルーンの日。


プルーンの産地といえばカリフォルニア。


The Eagles  Hotel California

1977年リリース。

名曲と言われています。しかし私、ベタな選曲してますね。
興味のなかった曲なのですが、歌詞の表現が素晴らしくてユニークというか表現がうまいというかで興味をもった曲。


♪暗い砂漠のハイウェイ 涼しい風が髪をなでる
 コリタスの穏やかな匂いがたちこめる
 
 遠くにかすかな光が見える
 頭は重くなり視界はかすんでいた
 今夜はもう休まないと

 入口に女性が立ち 礼拝の鐘が鳴る
 「ここは天国か地獄か」自分に問いかける
 ロウソクで案内され聞こえてくる声
 「ようこそ ホテルカリフォルニアへ」
 とてもステキなところ
 たくさん部屋のあるホテルカリフォルニア
 いつでも利用可能.......

 ........マスターを呼びワインをオーダーする
 「1969年からそういったものは置いてません」....

 .......皆楽しく過ごすホテルカリフォルニア
 とてもステキなところ
 アリバイをご用意ください......

 ........「私たちは皆ここで自分自身のオリに
 囚われ
ている」
 支配人の部屋へ宴に集まる人々
 鋭いナイフで突き刺すが獣を殺すことは不可能
 
 最後に覚えているのはドアへ走ったこと
 もとへ戻る道をみつけなければ
 「落ち着いて」 警備員が言った
 「私たちは受け入れるよう指示されている
 いつでもチェックインてきるが決してここを
 去ることはできない チェックアウトは死同様」
 
 不思議なホテルカリフォルニア

コリタス...マリファナ。
※一部歌詞を省略しております。
 



カリフォルニアは、プルーンにオレンジ、ナッツ類、アボガドなどが豊富に採れる。
気候も地中海式気候で雨も少ない。
ニューヨークに次ぐ大都市ロサンゼルスもあり。
ハリウッドもあり。

なんだか憧れてしまう地。
実際に音楽面ではBeach Boysの登場により、カリフォルニアはミュージシャンの憧れの地となり、'80年代初めはカリフォルニアでレコーディングしてあとはヨットなどを楽しむという生活を送るミュージシャンが増え、そのミュージシャンたちの曲はAOR(アダルトオリエンテッドロック)...ヨットが似合うシティ派のおしゃれな曲と位置づけされている。

そんなカリフォルニアを、シティ派とは違う見方で表現しているのがHotel California.
 

'60年代後半に最盛期を迎えたヒッピー文化。
それまでの文化や社会のあり方に反抗した若者たちが既成概念をくずそうと、自分たちの概念により文化をつくりあげようとした。
何ものにも縛られない自由な文化。
ドラッグ等もありな文化。
カリフォルニアは、ヒッピーの聖地とされていた。

そのヒッピーが'70年代に入って勢いを失った。
そのヒッピーについて歌ったのがHotel California.

ドラッグ仲間へ入ってしまって出られなくなったのか。
その仲間が集う場をホテルカリフォルニアにたとえている?
それともホテルカリフォルニアは存在しない。ドラッグによる幻覚なのか?
ヒッピーにどっぷりとつかってしまったのか。
様々な想像が頭をめぐってしまって、眠れなくなってしまいそうな曲。
 

♪マスターを呼びワインをオーダーする
 「1969年からそういったものは置いていません」
ワイン...お酒....スピリッツ....ヒッピースピリッツ(精神)の衰退を表現。

♪「アリバイをご用意ください」
ホテルカリフォルニアに滞在していることがバレないようにしてください。

♪「私たちは皆ここで自分自身のオリに囚われている
ヒッピーから抜け出せない。ドラッグから抜け出せない。

♪いつでもチェックインできるが決してここを去ることはできない
何ものにも縛られることなく自由でいたいのは皆望むこと。しかしその状況に慣れてしまったならなかなか抜け出せない。
そしてドラッグの恐ろしさを表している。


ヒッピーな若者たちは戦争を知らない子供たち。
しかし1955年に社会主義の北ベトナムと資本主義の南ベトナムが戦争となり、ソ連とアメリカが代理対戦となった。
ベトナム戦争は1975年まで続いた。

そんな戦争に巻き込まれた、巻き込まれざるを得なかったアメリカの若者たちは、ベトナム戦争に反抗してヒッピー精神を貫いたのかもしれない。

実際にベトナム戦争への反戦歌、ベトナム戦争終了後の慰めの曲などもリリースされているアメリカのミュージシャンが多々いらっしゃる。


当時のアメリカの若者たちは、ヒッピーで反抗するしかなかったのかもしれません。
ヒッピーはヒッピーで、戦争のない平和を求めていたのかもしれません。
ドラッグはだめだと思いますが。

そしてヒッピーは、北ヨーロッパのボヘミアン。
社会や伝統に背を向けて、芸術によって自由奔放に生きる民族をお手本にしたのかもしれません。

日本でもヒッピーファッションが流行りました。
さすがにドラッグはなかった?と思いますが、日本でのヒッピーとアメリカのヒッピーでは根本的に概念が違ったのですね。




'60〜'70年代のアメリカのミュージシャンの曲にはアメリカの歴史的背景や当時の社会情勢を表現している曲が多く、そこが日本と違ってなかなか興味深い。

音楽は語るより強し。 
音楽で訴えたなら、スッと若者の耳に入りやすいですものね。


ホテルカリフォルニア....当時のヒッピー精神、ドラッグの恐ろしさを、ホテルカリフォルニアを舞台にうまく表現していて興味深い曲。

そんなアメリカの若者の姿を、様々な歴史を、プルーンにオレンジ、ナッツ類等の木々はカリフォルニアにてずっと見つめてきたのかもしれない。
木々はずっと地に根を張り、変わりゆく社会、文化のように実は熟しては収穫されまた熟しては収穫され。
そんなアメリカのなんともいえない、若者が犠牲になった感がある歴史をプルーンやオレンジは酸味で表現し、ナッツ類はかたくなだったヒッピー精神を表現しているのかもしれませんね。





そしてプルーンにオレンジ、ナッツ類等の農作物は、カリフォルニアの経済においてひと役かっているのではないでしょうか。