3月1日 ビキニ・デー。
1954(昭和29)年3月1日、アメリカが太平洋ビキニ環礁にて水爆実験(核実験)を実施。
付近を航行中の日本の漁船第五福竜丸の乗組員が被爆しその後死亡。
アメリカが実施前に設定した危険水域外を航行していたにもかかわらず被爆。
この実験をきっかけに、核の禁止が各国に広まっていった。
アメリカは1946〜1958年に23 回の実験を実施。
ビキニ環礁の島民は水爆実験のために移住させられた上に島には戻れなくなり、70年以上も避難生活を送らざるを得なくなっている。
ビキニ👙
Brian Hyland Itsy Bisty Teenie Weenie Yellow Polka Dot Bikini〜ビキニスタイルのお嬢さん
1960年リリース。
♪あの娘は更衣室から出てこれない
ドキドキ恥ずかしくて
誰かに見られるって
2、3、4 いったい何を着ていたのか
それは黄色い水玉のビキニ
初めて着たんだって
2、3、4 まだ続きがあるよ
外に出られなくてタオルを巻いて
浜辺に座ってた
今度は海から出られない
どうするの
更衣室からタオル タオルから浜辺
浜辺から海 これ以上はもう何もないよ
じゃあビキニ着なきゃいいじゃない!
....この曲の作詞者の当時幼いお子様をモデルに作られたそうで、なんとも微笑ましいですね。
ビキニ環礁での水爆実験で、人々が身につけていた衣服が裂かれて吹き飛び、胸と下腹部辺りにのみわずかな衣服の残骸が残った。
その様子が水着にデザインされてビキニとなったという、まるでドリフのコントのような話を耳にしたことがあります。
実際は、ビキニはフランスのレイ・レアールがデザイン。
1954年3月1日の水爆実験の4日後にビキニとネーミングして普及させたとのこと。
核の破壊力から衝撃的なイメージを与えたいとビキニとネーミングしたとのこと。
今の時代じゃ許されないネーミングだね。
当時は、まだ核の恐ろしさについてよく理解できていなかったんだろうね。だから実験を繰り返していたんだろうね。
夏場はカラフル、艶やかなビキニが登場しますが、水爆実験と関連していたと知ると複雑な気持ちになりますね。
それでも私は海にてビキニを着ます。
年齢気にせず着ます。
夏場、ビキニを着るために普段少し体型管理等気をつけたりして努力をするから。その気持ちを忘れないためにビキニを着ます。
迷彩柄。
嫌いではありません。が、私は着ません。好んで着ていた時期もありましたが。
迷彩柄を目にされて、戦時中を思い出してしまう方がいらっしゃるのでは?と思うからです。
迷彩柄は着ないのになぜビキニは着ちゃうわけ?
いつまでもビキニを着たい!着て海で過ごしたい!
そのために体重管理等の努力を惜しまないため!
黄色い水玉のビキニを着てしまったお嬢さんのように、生まれて初めてビキニを着たときはやはり恥ずかしかった。
実は今でも夏になり、今夏初めてのビキニって時は少し恥ずかしいのは確かだ。
そんな私は、もう50代後半だ。
布地面積せまいビキニが恥ずかしいのか、この年齢でビキニが恥ずかしいのか、よくわからなくなってきている。
そして水爆実験を通して平和とか語るつもりがビキニ!の話題って、自分自身のレベルも疑わしくなってきている。
ただ言えること!
なんだかんだあって苦労はあっても、今自分は命を奪われるような、避難しなければならないような危機にはさらされていないってこと。
そのこと自体が平和なんだってこと。
ありがたいってこと。