44歳完全母乳育児。
注意:当方、ごく一般的なママです。助産師さん、保育関係等の関係も一切ございません。(独自理論、参考程度に見てね。)
3人目育児で完全母乳育児(=完母)になった訳ですが、これは上2人が完母だったからですそもそも1人目産後すぐの
授乳から今に至るまでこの歴史は遡りますね(笑)どんだけ乳を使い倒しているのだろうか?(笑)笑えるほどだ。
10年前の私はこんなに全身筋肉痛と会陰の激痛に加えての中で、こんなに乳首が痛いことあるのか?おかしくないか?・・・って
思って夜な夜な泣いていた入院生活を数日送りました。1人目だけは里帰りが許されたのでさせてもらいました。
※私の姉の出産時ほぼ母が赤ちゃんの世話をしていたせいか、私の母的にはもう十分ですよ、新生児。状態だったのだと思います。
その為、里帰りしてほしくないオーラが凄かったです・・・酷い・・・って普通に凹んでました
今では、まあそういうこともあるだろうなと理解できます。60過ぎて新生児とほぼ毎日はさすがにね・・・姉しっかりしろ!
で、退院後~1か月検診までは実家で過ごすので、家事を一切しなくてよいため泣いたらおっぱい→ピュアレーン塗る→おっぱい
のルーティンと睡眠とトイレとごはんだけをしていました。夜泣くと母が「母乳足りてないんじゃない?だからすぐ泣くのよ」
「ミルクをあげたら?」とほぼ毎日言われました。ですが、退院時の診察でこのまま頻回授乳で大丈夫と言われたのでそれを
伝えて相当眠くて記憶がありませんが、ひたすら33歳の私はちぎれそうでちぎれない乳首と向き合っておりました。
夜は特にベビちゃんも飲んでは寝る→すぐ泣く→飲んでは寝る→また泣くこれを繰り返す日々でした。
とりあえず泣いてるけどあげたら寝るし泣き止むし、ごくごく喉を鳴らすのでミルクはまだやめとく!を徹底した1か月でした
入院中は深夜も必ず3時間おきに授乳室へ向かいました。あれさ、椅子に座るのスローモーションになりますよね?
退院後もずーっとスローモーション撮影で座ってましたね。
その甲斐あってか、どきどきの1か月検診は無事に成長がたくさん見られました
多分、おしゃぶりも何も使用しなかったのもあるのか夜はほぼ沿い乳で過ごし、気づいたとき(だいたい2か月?)頃には
溢れるばかりの母乳にベビちゃんはむせるほどでした。片乳で満足して寝ることもしょっちゅうありました。
需要(ベビちゃんの飲む量)と供給(おっぱいの分泌量)のバランスが取れてきたのが3か月ころ?だったと思いますね。
その時はもう、常におっぱいパット必須。授乳時のタオル必須。授乳クッションもママの胸元もおっぱいまみれで洗濯しまくり。
・・・といったところでした。
そうして1年過ぎたころ二人目の妊娠が発覚するのでした
以下便利だったアイテム紹介しときます。
👆これは一番使いやすくてこれしかいらない
・・って私は思ってますよ。
まあそんなわけで、スパルタだった病院の助産師さんには大変な感謝をしています。その節はお世話になりありがとう
ございましたあの時の夜間授乳を頑張ったおかげか?知らんが、母乳に溺れるほどの『3人完全母乳育児』となりました。
私は搾乳機ほとんど未使用でしたのでなくてもいいと思います。変に乳腺を刺激して傷めるよりはおにぎり絞りしたらそれで
体が勝手に分泌を調整しましたので。11年前は一応和食中心にしてこってりしたクリームとか控えてました。
今は関係ないって言われてるよね。2024年現在は好きなように食べてますが、乳腺炎にもなってますね(笑)