心の鎧と心の筋トレ〜その1  苦手な人への心のざわつきは自分を知るヒントの山

 

  

  

  前回は、

  弱っている時には

  気質は自分を守る「鎧」になるが、

  回復すると

  重たく窮屈に感じていくこと、

  今までの発信軸を否定するのは

  怖かったが

  自分を守る「鎧」から自由になる方が

  より幸せになるので、

  方向転換をすることにはなるが

  その方が自分らしくなると

  行ったことをお話ししました。

    

 

   世界観episode115 ~「気質」の枠を超えることで私が得たもの(自己肯定感epi15)

  

   

 

  まず最初に、

  HSS型HSPの気質の発信をしている

  人を否定する気持ちは

  ありません。

 

  あくまで私の

  「個性」や

  「そうした方がより

  自分を認められるし

  人と互いに尊重し合える関係築く」

  「自分の世界が広がる気がする、

  自由になりワクワクする」という

  「人生の目的」にあっているから

  気質による傾向の枠から

  はみ出して行こうと決めただけです。

  

  ですので、

  私の考え方を

  人に押し付ける気は全くありません。

 

  人にはそれぞれ段階がありますし、

  「幸せな人生」の選択基準が

  違うからです。

 

  その人にとって

  「大切にしたいことを

  「大切にすること」が

  「幸せな人生・良い人生」であり、

  「人生の目的」です。

  

  人生は選択でできており、

  自分にとっての「良い人生」を送るためには

  この「人生の目的に沿った選択」を

  することが大切です。

 

  「人生の目的」は

  その人が「自分らしい良い人生」を

  送るための

  「人生の選択基準」でもあります。

 

  この「大切にしたいことを大切にする」

  ことをやろうとする時・やれた時に、

  「嬉しい」「楽しい」「充実感がある」

  などのプラスの感情が人には湧きます。

 

  そして人によっては、

  「ハラハラ・ドキドキする」

  「ワクワクする」

  など感情も湧きます。

 

  この時に得た感情こそが

  その人にとって「得たい感情」

  であり、

  この感情を得ることをすることが

  その人にとっての

  「人生の目的」になるのです。

 

  感情なので

  当然ですが人により異なります。

 

  ちなみにこの

  「人生の目的」を達成することに対し、

  時間・お金など私の持てる

  リソースを投下しなければ

  人生の最後に

  人は後悔します。

 

  「それをしないこと・大事にしないこと」が

  その人の人生の良さを左右するくらい

  大切なことであれば、

  それがその人にとっての

  「人生の目的」になります。

  

 

 

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  私にとっての「人生の目的」は 

  やはり一番は

  「自分を認め愛する」です。

 

  もちろん

  「ワクワクする」

  「充実感を味わう」

  (難しいことに挑戦するのが好き)

  「人に優しくして尊重しお互いを

  大切にする」

  などもあります。

  (人生の目的は一つではないので)

  

 

  でも私にとり至上命題は、

  「自分を認め愛する」です。

  

  そのためには

  「自分」を知ることが不可欠です。

 

  クソみたいにチンケな、

  存在しているのも知りたくなかった

  自分も知って

  その上で、

  「あ、今そんなふうに感じたんだー、

  そんなふうに思うこともあるよねー!

  そう思うこともあるよね」

  

  「時にそんなふうに思う私もいて

  いいじゃない。

  そんな自分も好き。」

  

  そう思うことが私の人生の

  目的なのです。

 

  今回お話しすることは、

  私の人生の目的でもある

  「自分を認め愛する」ためには、

  気質を理由にして避けていた

  苦手な人や場所にあえて

  関わってみることが大切であること

  をお話しします。

 

  

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  

 題して、

 「心の筋トレ・

 苦手な人に感じる

 心のざわつきは

 自分を知るヒントの山」

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

  最近聞いたセミナーの中で

  「人は人を通してしか

  自分を認識することができない」

  というお話がありました。

 

  

  ・・・まさにそうです。

   

  私の場合、

  人生の目的や得たい感情から

  照らし合わせても、

  残念なこと?に

  人と関わることが

  人生の目的達成には不可欠なのです。

 

  この「他者との関わりの大切さ」を

  「鏡の法則」という形で

  教えてくれた方もいました。

 

  「人と関わること」は

  共感能力があるHSS型HSPで、

  人を楽しませるのが得意で

  コミュニケーション能力が

  あっても楽なことではありません。

 

  というのも

  人より感受性が鋭すぎ、

  (音や言葉づかいに敏感ったり)

  時に深読みが暴走もするため

  人よりストライクゾーンが狭め。

  つまり苦手な人が多いからです。

 

  特に大切なのは

  「苦手な人」や「嫌な人」

  など心がざわつく人やモノに

  関わることなのです。

 

  なぜ苦手な人、

  苦手な人と関わることが

  大切であるかというと、

  それは

  相手を通して自分を知ることに

  なるからです。 (鏡の法則)

 

  つまり人は、

  嫌だと思う人や出来事には

  自分が目を逸らしたくなる

  自分の嫌な部分

  無自覚な呪縛が投影され、

  それによりその存在を自覚するのです。

 

  ・・・

  全くもって嬉しくない作業ですよね。

 

  「裸の王様」が

  「自分が裸」かも。。。

  「井の中の蛙」が

  実は自分が「井の中」にしか

  いなくて、

  かつ「空の青さも知らない」

  ということを自覚させられることなので。。。

  

 

  ここでポイントなのは、  

  「なんでそう思うのか?

   あれのどこが嫌だと感じるのか?」

  と問いかけて

  その理由に気づくことです。

 

  裸であることに気づけば

  王様は

  「あ、ワシ、本当は裸だった。。。

   服着よ。」

  で服を着ることができます。

 

  「井の中の蛙」は

  「大海は知らない。

  でも見上げたら空ってこんなに

  青かったんだ〜」

  と「空の青さを知る」ことは

  できます。

 

  あくまでも

  そんな自分を「一切責めず」

   「『あ、私そんなふうに

   思っていたのか』以上終わり!」

  とするだけです。

 

  この嫌なことポイントに

  気付くと

  自分の中の気付きたくない

  暗部に気付けます。

 

  気付いた時、  

  初期は吐きそうになったり

  人によってはですが。。。

 

  気付いたら  

  その傷を自分で癒すことが

  できます。

  

  そして、

  人は嫌なことや怖いことに直面すると

  「闘争・逃走」反応を示しますが、

  理由がわかれば

  ただ逃げたい・嫌! 

  という脊椎反応にも似た

  この逃走反応からも自由になれます。

 

  感情に呑まれなくなる、

  脇にその感情を置く事ができるように

  なるからです。

  つまり、感情を選べるように

  なっていくのです。

 

  そうすると

  自分の中の「べき」のツボに

  気付くことができます。

 

  王様でいくと

  裸であることを指摘された瞬間、

  いらっときたざわついた原因が

  「人前で裸でいることを指摘された、

  みんな知っているのに

  自分だけ気づかず得意げに歩いていて

  バカだと思われたかもしれない。  

  (自分の無知を人前で指摘された、

   メンツを潰された)」場合を例で話します。

 

  この場合王様は

  イラッとしたことが

  人前での指摘が原因なら

  自分はメンツを潰された事が

  実は嫌だったのだと気づけます。

  =自分はメンツを思った以上に大切に 

   していることを発見。

 

  人にバカだと思われることが

  恥ずかしいし、腹がたつのなら、

  自分自身がそういう人を

  バカにしていることを知ることができます。

  

  さらに言うと

  自分の利益を損なわれた時に

  密かに世間体を盾に

  怒っている場合があります。

 

  例えば

  「自分もやりたかったのに、

  またあの人が我を通している。

  いつもそうだ、

  譲ればいいのに。

  みんなのことを考えない人だ」

  と思った事があったとします。

 

  この場合

  その人に

  「前、〇〇されたから今度は別の方に

  してもらいませんか〜」

  と言ってみたり

  「それは私もやりたいのですが」

  と言えば良いだけの話です。

  

  「譲ればいいのに」とか

  「譲るべき」ということにより、

  自分が行動しないで

  自分の欲求を叶えるために

  相手を「一般論で非難」するという形で

  正当化していることがあります。

 

   私がそうでした。

 

   仕事から早く帰りたいのに

   帰れない。

   

   やるのが当たり前なことを

   人がやらないから

   私がやらなきゃいけない。

   ※姉にやりたくないならやらなくても良い。

    やらなかったら周りがそれに合わせて

    動くようになるから。

    人を責めながらやるならやるな

    と教えられました。

  

   隠れた思いに気づかずに

   相手を心の中で責めていました。

 

   行動もそう。

 

  苦手な人との関わりを通して

  自分が自分に勝手に

  「世間はそう思うだろう」と  

  「社会不適合者」という

  レッテルを貼り、

  相手はそんなことを

  全く思っていなかったのに

  遠ざけていることに気づきました。

 

  なぜ人を遠ざけていたかというと、

  それは自分の中に湧き上がる

  「こうあるべき私」に

  今の自分が合っていないこと、

  合っていない自分を恥じていることを

  突きつけられるからです。

  

  一人でいる時には

  「こうあるべき私」に縛られていることに

  気づきません。

  人と関わる時に湧き上がる

  心のざわつきでないと気づけない

  深層心理の領域の話です。

 

  ちなみに

  繊細で自分を認められない私は

  このざわつきを受け止めることが

  できませんでした。

  

  ちゃんとしないと

  「愛されない」

  「認めてもらえない」という

  思いが強いを通り越して

  無意識の恐怖心としてがっちりしすぎて

  いたからです。

 

  この徹底した恐怖心のおかげで

  このざわつきを通して

  「道徳的に清廉潔白でない自分」の存在を

  このざわつきを通して受け止めることが

  できませんでした。

 

  だから

  自分を守るためには

  「優秀さはあるし大胆だが超繊細

   だから周りは苦手、

   関わらなくてOK」という

  HSS型HSPの気質の鎧は必要でした。

 

  でも

  コーチングを学び、

  色々な人との出会いを通じた学びを経て、

  受けた心の傷が癒え、

  復活してきた今、

  「もしかして、

  その鎧、要らなくない?」

  と思うようになったのです。

 

  無双の剣術家は超軽装。

  「キングダム」でも

  主人公の信は超丸腰。

  

  宮本武蔵も佐々木小次郎も

  鎧をつけて果し合いって

  やっていないですよね。

 

  ・・・機動力を奪うなら

  脱いじゃえ、

  そう思うようになりました。

 

  やはり

  体と同じように心の筋力も

  強い方が色々な負荷に耐えられます。

 

  心の筋力が鍛えられると

  持ち上げられるものも増えます

  (耐性の強化)。

 

  筋力が増えると

  耐性が上がるので

  分厚い鎧でその重さで自分を縛りながら

  守る必要もなくなります。

 

  そこで今回のお題、

  題して、

  「心の筋トレ・

  苦手な人に感じる

  心のざわつきは

  自分を知るヒントの山」になるのです。

 

 

  長い文章を

  ここまでお読みくださり、

  本当にありがとうございました。