世界観episode97~「嫉み厳禁」と「酸っぱい葡萄」の自己防衛レトリック

 

  

  

  前回は、

  HSS型HSPの

  私が縛られていることの中の

  「べき」についてお話ししました。

  「べき」と考えることで、

  持ってはいけないと思っている

  「相手に期待したい

   本当の自分の気持ち」

  を正当化してしまい、

  それにより

  自分の本当の気落ちに

  気づけなくなることを話ししました。

    

 

   世界観episode96~「べき」思考からの我慢と隠された本当の気持ち

  

   

 

  今回も引き続き、

  高齢の母の関係で気づいた

  HSS型HSPの私が縛られている

  「綺麗な心・嫉み厳禁」と

  それを誤魔化してきたことに

  気づいたことついて

  お話しします。

 

  HSS型HSPは、

  共感力が高いため

  思いやりがあると言われています。

 

  小学校くらいまでに

  学校や保育園・幼稚園等で

  教材や絵本を通して

  「思いやりの心」

  「心の美しさ」の大切さを

  昭和や平成初期の子供達は

  かなりしっかり

  教えられるように思います。

  

  それもある意味当たり前で、

  その親の世代が

  道徳的な価値観をがっちり持った

  世代だからです。

 

  別に今の親世代が

  道徳意識がないとは言いません。

 

  「人を妬んではいけません。

  人を羨んではいけません。

  人を嫌ってはいけません。

  人と仲良くしなければいけません。

  お友達とは

  仲良くしなければいけません。

  自主・自律を持ち、

  美しい心を持つようにしましょう」

 

  そんなことを日常的に

  がっちり刷り込まれたような

  気がします。

 

  私にとって古い価値観の象徴は

  小学校にあった

  薪を背負って本を読む

  二宮金次郎の等身大銅像。

 

  因みに私は二宮金次郎、

  なんとなく嫌いでした。

 

  理由は自己陶酔と偽善と欺瞞。

 

  背中に背負って歩きながら

  本を読むのって

  気も散って危ないし、

  歩きながらだと仕事も勉強にも

  効率悪いな、

  そうするオレ頑張ってると

  自分に酔ってるみたいで嫌。。。。

  

  これもHSS型HSPの子供

  独特の視点です。

 

  これを礼賛する大人の気がしれない。。。

  当時小学校の私は

  密かにそう思っていました。

 

  先日姉に聞いたところ、

  今では甥っ子・姪っ子の通っていた

  小・中学校には

  二宮金次郎の銅像はなく、

  金次郎自体への礼賛姿勢も

  無くなったそうです。

 

  時代の変化を感じます。

 

  子供の頃からこういうものを見て

  育っても、

  普通の子供達は適度に

  大人達の「建前」にうまく

  順応して育っていくように

  思います。

  

  私の姉がそうでした。

  建前だからふーんと

  押さえるところは押さえるけれど、

  いい意味で右の耳から左の耳へ、

  が上手な人でした。

 

   

  ですが、

  感受性が鋭く

  大人の気持ちを読み、

  道徳意識も高いHSS型HSPの子供は

  事情が違うように思います。

 

  この実に立派な建前的な、

  理想的な考え方ですが、

  今思い返せば

  大人もできていなかったこと

  なのですよね。

 

  できないからこそ

  目標にするよう仕向けるし、

  育てる側や管理する側も

  その方が都合が良いから

  この考え方を

  推奨していた気がします。   

 

  あるいは、

  多くの大人が姉のように

  「子供にはそういうことを

  教えるもの」と

  特に何も考えずに

  子供に教えていたのでは

  ないでしょうか。

 

  

  因みに

  私の子供の頃の愛読書は

  心の美しい「小公女セーラ」

  「小公子」、

  「若草物語」です。

 

  「フランダースの犬」の

  アニメは好きで何度観ても

  泣きました。

 

  子供心に

  「心の美しい子」に憧れていました。

 

  (母もその手の絵本を子供の頃

  寝る前によく読んでくれていました。

  母自体も「心の美しい人」でありたい

  そういう思いの強い人だったので)

  

  問題は感受性の鋭い

  先生の非合理的なことには

  反発はするけれど、

  道徳的なことについては

  「幼いくせにある比類ない向上心」

  のおかげで妙に素直にこの手の

  話を聞いてしまうHSS型HSPの

  子供です。

  

  「当たり前」と思い、

  できていない自分を

  良くない、ダメな人間だと

  思うようになっていくと

  思うのです。

 

  少なくとも私はそうでした。

 

  そう思うと

  うまく自分の気持ちと

  向き合えなくなっていきました。

 

  特に成長するときに

  付き合うことに苦労したのが

  「嫉み」の感情です。

  

  この感情は正直、

  つい最近まで本当に

  付き合いに苦労していました。

 

  妬むな、羨むなと言われても

  感情は湧き上がります。

 

  観察力はあるので

  無意識に人と自分の違いが

  目につきます。

 

  HSP由来の審美眼もあるため

  自分の容姿については

  幻想を抱かずシビアに

  なりがち。

  

  人間本来誰しも

  嫉妬などの

  負の感情を覚えることは

  あります。

  自己肯定感が高かったり

  超ポジティブな人や

  悟りを得た人は別として。

  (湧いてきた負の感情を

  ネガティブのまま終わらせず

  プラスの感情に変えられる

  人達です)  

  

 

  でも素直でない所もあるけれど

  「いけない子供になってはいけない、

   良い子にならなければいけない」

  そう思うので、

  つい自分の中にその手の

  負の感情が湧くのを

  認めないようになっていくのです。

 

  本当は湧いても

  そのままで終わらせず

  自分の中の良さに目を向けられる力、 

  自己肯定力がありさえすれば

  負の感情に心を

  占拠されず切り替えられるので

  「ネガティブな感情が湧く」ことは

  さほど問題になりません。

 

  感情なので湧きます。

  HSS型HSPは観察力がありますし、

  幼少期からの比較体験で

  無意識に人と自分とを比べて

  自分のできていない所に

  目を向け落ち込みます。

 

  その時に

  「あの人は可愛くて良いな、

  勉強ができていいな。

  家にお金があっていいな。

  オシャレな両親でいいな。

  オシャレな家でいいな。

  恋人・パートナーがいていいな。

  (でも私・うちの家はそうじゃない)

  羨ましいなぁ」

  と感じるのではないでしょうか。

 

  ここでつい、

  「最近読んだ

  自己啓発本にも書いてある、

  妬んではいけない」と思うので、

  「羨ましい」と思う気持ちを

  認めようとしない気がします。

 

  私も羨ましがっている部分が

  あることに自覚している部分と

  無自覚な部分がありました。

 

  学生時代なら

  かっこいい彼、

  良い就職先の人、

  就職してからは

  華やかな仕事や高収入な人、

  背が高く高学歴で高収入な結婚相手、

  賢く可愛い子供。。。

  

  本当は羨ましいし、

  なんか置いて行かれた感があって

  うまくいってズルい。。。

  (ずるくもなんともないのですが)

  そんな後ろめたい思いを

  うっすら感じ、

  感じた瞬間に自己嫌悪を感じ始め

  落ち込んだものでした。

 

  うまくいっている人は

  それなりな努力をしているから

  その結果を引き出しているのは

  頭ではわかっているのですが、

  感情が追いつかないようなのです。

 

  自分にはないものを持つ人、

  特に自分と近い能力や環境の人や

  後から始めたけれど

  自分よりもうまくいくようになった人、

  仕事で自分よりも能力が低いと

  思っていた人が自分より昇進した時 

  などに、

  この感情が湧く傾向があります。

  

  そうなると大変です。

 

  なかなか「妬む」感情が

  鎮静化してくれません。

 

  そうなると

  感情が納得してくれないので

  思考の出番です。

  

  「イソップ物語の酸っぱい葡萄」の

  キツネよろしく自分を

  正当化して慰めて

  「羨ましがる必要ないよ」的な

  暗示をかけるのです。

 

  そうして相手を

  妬む気持ちは無くなるのですが、

  「でもその相手の条件なら違うかな、

  その仕事の条件なら違うかな…

  人それぞれ、自分は自分だから

  羨んでも仕方がないよ!

  自分のことに集中しよ!」と

  一見人を尊重しているふうに

  見えますが、

  実はその真逆。

 

  無意識に自分を優位に立たせることで

  挑戦しなかった自分・

  実行しなかった自分・

  選ばれなかった自分を

  「その条件を私なら是としない」

  とすることで自分を守っていたのです。

 

  なぜそんなことをする必要があるのか?

 

  それは、

  繊細な自分を守るためです。

 

  「私なんてダメだ、

   価値がない…

  誰からも認められない…

  行動できない…

  能力がない…」と

  自分に厳しい分、

  HSS型HSPは徹底して自己否定します。

 

  そんなふうに

  繊細な自分が立ち上がれなくなるまで

  ディスらないようにするため、

  できない自分への嫌悪感で

  崩れ落ちてしまわないように

  一生懸命それを防ぐべく

  「謎ロジック」を編み出して

  自分を騙していたのです。

  

  本当は素直に

  「羨ましいよ!

  もーーー!!!

  なんでなのーーー!!!

  ずるーーい!!!(ずるくないですけどね)」

  と心の中で全力で叫んで

  自分の中の未熟で駄々っ子な

  浅ましいと自分が忌み嫌っている部分を

  あっさり認めてしまえば

  楽になるのです。

 

  あっさり認めると

  じゃあそこからどうすればいい?

  

  次に向かって建設的に進むことが

  できます。

  

  自分の気持ちを否定しないので

  逆にそのネガティブさが

  消えるのが早いです。

 

  先日私がもだもだ思っていること

  もだもだ思っている自分に

  イラついている時に

  なんでそんなに怒っているの?

  と言われて気づきました。

 

  羨ましくてたまらない自分を

  認められなくて、

  羨ましさが消えてくれないために

  酸っぱい葡萄理論で

  一生懸命に自分を納得させようとして

  いたのです。

 

  しかも、

  その理論を持ち出す自分が

  後ろ暗くて嫌で、

  そんな思いをするのは嫌だし、

  相手にこのイライラや

  「酸っぱい葡萄」で自分を納得させようと

  している傲慢さが伝わるのが

  申し訳ない、

  だから、

  人と関わるのは難しくて嫌。。。

  合わない人は合わない、

  それでいいじゃない、

  

  と、盛大に拗れていました。

  

  自分の中の

  「羨ましがってはいけない」

  「そんな気持ちを持つべきではない」

  という長ーーーい年月

  凝り固まっていた考えを、

  「感情だから湧くのは仕方ない。

   そもそも要らない感情なら

  進化の過程で淘汰されているハズ。。。」

  そう思って受け入れることにしたのです。

 

  そうしたら、

  一気に楽になりました。

 

  指摘をしてくださった方から

  いわゆる引き寄せの法則は

  嫌だなと思っていると

  そのことを引き寄せる。

  必要だからそのことが

  起こっているので、

  気づいて受け入れていくと

  良いですよと言われました。

 

  コーチングの佐藤先生からも

  広島での研修の際に

  「起こることを全て肯定するように

  僕はしている。

  そうしている人と出会って

  その方が人生楽しそうだと

  思ったから、

  その人を見習って僕もそうするように

  なった」と言われたこと、

  そして私もそう決めていたことを

  思い出しました。

 

  忘れないように

  研修で作成したボードを

  額縁に入れて飾って日々見るように

  しているのですが、

  うっかりそこは頭の中で

  結びついていませんでした。

 

  「起きていることは

  全部私にとって必要なこと、

  けっこーなことじゃないですか!」

 

  改めて心から

  そう思えるようになりました。

 

  (ダジャレで和ませるのが

   大好きな佐藤先生は、

   飛行機の欠航の話の時に

   「欠航」地️「結構」をかけていて

   このフレーズは私のお気に入りです)

 

  HSS型HSPは

  自分の気持ちを巧妙に

  誤魔化すのが上手だと

  クーパー博士の著書の中で

  時田さんも言われていました。

  

  博士が言うように

  「ありのままの自分」を

  受け入れることが

  HSS型HSPにとって

  大切だということが

  今回改めてわかりました。

 

  聖人君主ではないので、

  未熟なところがあって当たり前。

 

  でもこんな拗れて難しさを持つ

  HSS型HSPの自分だからこそ

  受け入れると

  心の筋肉が鍛えることができます。

  

  せっかく生きているので

  それなら少しでも

  自分を好きになりたいし、

  最後に「良い人生だった」と

  満足して終わりたいと

  思うのです。

 

  苦手だからと

  避けていた苦手な人から

  思いもかけない素敵で得難い

  学びをもらえました。

 

  繊細で面倒な自分ごと

  もっと慈しみ、

  他の人も尊重し慈しむようになる、

  私の人生の目的に 

  一つ近づけた気がします。

  

 

 

 「傷つきやすいのに刺激を求める人たち」

    ~フォレスト出版

   トレイシー・クーパー著

     (カリフォルニア

     統合学研究所の統合学哲学博士。

     HSPのアーロン博士の

     ドキュメンタリー映画にも

     出演、自信もHSS型HSPと公表)

   時田ひさ子監訳

    (HSS型HSP専門心理カウンセラー)

   長沼睦雄監修

    (精神科医)

 

 

 

     

  明日はここ最近得たことの

  気づきの総括を

  お伝えしたいと思います。