世界観episode61~姉とアメリカと年末休暇①(HSP社会人前編⑥)

 

 

 

  前回は

  パソコンが職場に

  配備され、

  パソコンのおかげで

  私の強みが開花したこと、

  少しずつ自信を

  取り戻したことを

  お話ししました。

 

 

 

   世界観episode60~パソコンの時代の到来と自信回復の芽(HSP社会人前編⑤)

  

 

 

 

  今回は、

  姉がアメリカに留学・

  2011年9.11テロのあった年の

  年末の休暇にNYに

  行ったことをお話ししていきます。

 

 

  まず姉の留学にいたった経緯と

  私の劣等感が

  諦めと共に

  薄らいだことをお話しします。

 

 

  姉は、

  職業上の理由で、

  アメリカの資格を取る必要があり、

  その資格をとる

  まずその大前提として

  アメリカの大学院を

  卒業する必要がありました。

 

  しかも、

  「どこの大学院を卒業したか」が

    問われるらしいのです。

  アメリカは学歴社会なので。

  姉は仕事で遅くまで働きながら、

  NYにある有名大学院を

  受けるための英語の勉強を

  ずっとしていました。

 

  聞いているだけで

  「お腹いっぱい」勉強っぷりでした。

  その甲斐あって

  姉はアメリカでも当時

  上位に入る大学院に

  ストレートで合格したのでした。

 

 

  その瞬間、

  私の中で思ったのは、

 

 

  「化け物....。

   私が唯一お姉ちゃんより

   勝っていた英語でも

   負けちゃった.....。

 

   というか、

   この人にそもそも

   勝とうと思ったことが

   大きな間違いだったんじゃ....。

  

   きっと本試験もストレートで

   受かる.....。」

  

  でした。

  

  姉は頭が良いとは

  思っていましたが、

  英語は音があるから

  きっと私の方ができるはず

  とずっと思っていました。

 

  でも、

  姉は努力の天才。

  姉に本気を出されたら、

  英語だってあっという間に

  抜かれてしまうのです。

 

  ここですっかり、

  姉への劣等感が

  ほぼ消えました。

  諦めがついたからです。

 

  今でもたまに

  浮かぶことはありますが、

  それは

  子供の頃から

  ずっと私が苦しんでいた

  「頭の良さ」での

  劣等感ではありません。

  

  大学を卒業して数年後に

  ようやく私は

  姉にかなわないことを

  完全に理解し、

  受け入れることができたのです。

 

 

  ときは2001年。

  この年の9月11日に、

  アメリカでは同時多発テロが

  起こりました。

  この時姉は

  NYにいました。

 

 

  9.11同時多発テロが

  起こったとき、
  私の家族は 

  たまたま家の居間に

  全員いました。

 

  私はネットの調べ物をし、

  (当時wifiはなく、電話回線を使用)

  両親はいつものように

  ニュースステーションを

  見ていました。

 

  そのとき

  第一機目の飛行機が

  ワールドトレードセンターに

  突入した直後の様子が

  映し出されたのです。

 

  姉がNYにいるので

  心配した父は即NHKに

  チャンネルを切り替えました。

  絶対にNHKは緊急ニュースを

  発信しているからです。

 

  父が

  NHKにチャンネルを

  切り替えたとき、

  2機目の突入しました。

 

  リアルタイムで家族全員が

  テロの様子を目撃しました。

 

  父が慌てながら

  母に電話をさせました。

  多分父は自分で

  電話をするのは怖かったのです。

 

  姉に電話しても

  当然つながりませんでした。

  

 

  姉から連絡が来たのは

  数日後でした。

  ありがたいことに  

  姉は無事でした。

 

 

  姉は

  家で卒業のための勉強や

  資格試験のための

  猛勉強をしていたので、

  テロが起こっていたのも

  すぐには知らなかったくらいでした。

  心臓...。

  頭はいいくせに

  少しとぼけたところのある

  姉らしい逸話でした。

 

  話は元に戻します。

  姉は2月に試験があるので

  帰国せずそのまま

  NYにいました。

 

  そういうわけで、

  姉が私を年末はNYに来ないかと

  誘ったのです。

  姉が住んでいたのは、

  大学の比較的近いところで、

  NYでも治安の良いところでした。

  姉は、治安最優先で

  家賃は高いけれど

  いいフラットに住んでいたのです。

 

  姉によると、

  テロが起こっても

  街は元に戻りつつある。

  逆に今のアメリカを、

  感じるまたとない機会。

  怖くないなら絶対おいで。

  試験勉強の邪魔かとかは

  気にしなくてもよい

  ということでした。

 

  私は少し考えましたが、

  「行く一択」でした。

 

  両親は心配しましたが、

  逆に9月にテロがあった後なので、

  絶対にアメリカは国の威信をかけて

  安全な体制をしいているはずと

  私は確信していました。

 
  少し考えたのは、

  職場にどう言おうか、

  という点だけでした。

  面倒だったので、

  

  というのも、

  冬休みを前倒しして

  休むことになるからです。

 

  結局、

  テロ後のアメリカを、NYを

  この目で見たいと思う

  気持ちを優先しました。

 

  さすがの私も一人で

  テロ後のNYに乗り込む度胸は

  なかったので、

  姉がいる間なら、

  連れて行ってもらえると

  思ったのです。

 

  私は1日有給休暇をとり、

  アメリカに向け成田経由で

  2001年12月28日に出国し

  2002年の1月5日に

  帰国しました。

 

  飛行機はさすがに

  安全最優先で

  ANAにしました。

 

  機内は緊迫した空気もなく、

  後に大ヒットとなる

  リース・ウィザースプーン主演の

  「キューティブロンド」

  アン・ハサウェイ主演の

  「プリティ・プリンセス」を

  日本公開前に楽しみました。

 

  ですが、

  ヒースロー空港に着いた途端、

  空気が一変しました。

 

  やはり、

  テロはそんな昔になっていない、

  警戒態勢でした。

  普通に銃を持った迷彩服の

  兵隊さんが

  空港内を普通に歩いているのです。

 

  そして、

  それを誰も気にとめていないのです。

  それがアメリカ人にとっての

  日常だったのです。

  それを見て、

  テロがあったことの

  重みをひしひし感じました。

 

  入管審査は

  審査官の女性に

  何のために来たのか、

  どこに泊まるのかと

  聞かれたとき、

  「For sightseeing.

        With my sister, 

        my sister lives in NY.」と

   (観光です。NYに住む姉のところです)

  審査官をまっすぐに見て

  にっこり笑って応えました。

 

  審査官は、

  ノーメイクのため

  かなり幼く見える私が

  そう言い切ったのが

  ちょっと意外だったようです。

 

  でも、すぐに

  にっこりと

  「Enjoy your trip.」

  (旅を楽しんでください)

  と言われました。 

  

  このタイミングで

  海外から観光でNYに来た

  外国人がいることが

  嬉しかったのかもしれません。

  

  入管審査は

  あまりにもあっさりで  

  拍子抜け名ほどでした。

  

 

  空港まで

  姉が迎えに来てくれました。

 

  さすがに

  背が高くガタイのよい

  銃を持った米兵が

  そばにいる中に一人でいるのは

  さすがの私でも

  落ち着きが悪かったので、

  姉を見つけた瞬間ほっとしました。

 

 

  HSS型HSPの特性に

  刺激が大好き、

  好奇心旺盛というものが

  あります。

 

  今にして思えば、

  あの時点のNYを

  恐れもせず

  NYに行って今の様子を

  見たい、

  人々がどういう風な

  様子か自分の目出みたいというのは、

  やはりこの気質の影響だったのでしょう。

 

  

  明日は、

  グラウンド・ゼロに行ったこと、

  街中を歩いたこと等を

  お話しします。

 

  ちょうどお正月なので

  時期も合います。

  

    

  

 

 

 

  

   に続きます。