世界観episode59~苦悩と諦めきれぬ夢の再燃(HSP社会人前編④)

 

 

  前回は

  配属先に

  慣れるのに苦労した(対人)

  ことをお話ししました。

  

   世界観episode58~慣れぬ環境への苦労②(HSP社会人前編③)

  

 

  今回は、

  環境にあまりにも慣れず

  1年目の途中から、

  再び外務専門職への

  思いを募らせたことを

  お話しします。

 

  episode58・59で

  お話ししたように

  なかなか職場の環境に

  なじめなかった私は

  かなり消耗していきました。

 

  そして、

  環境になじめないことで

  自信もだんだん失いました。

  

  社会に適合するのが

  ここまで大変だったのは

  私にも想定外だったのです。

  

 

  私はこのまま

  地元で公務員を続けていく自信が

  なくなりました。

  そして、

  もしやこれは

  試験勉強を途中で投げ出したから

  神様からの罰ゲームだろうか?と、

  半ば連休前ぐらいから

  本気でそして半ば自虐的に

  思う日をおくるようになりました。

  

  神様からしたらいい迷惑な話です。

  普通の私ならそうは思わないのですが、

  次第にそんな考えが

  頭の中で湧き上がる時間と

  占める割合が増えていきました。

 

  今にして思えば、

  かなりまいっていたと思います。

 

  もちろん、

  仕事については、

  覚えるように努力は

  一生懸命していました。

  

  それでも、

  あんなに迷うことなく決めた

  自分の選んだ道が正しかったのか、

  私は自信をなくしました。

 

  自信がなくなった私は、  

  悩んだ末

  とりあえずもう一度

  外務専門職の願書を取り寄せ、

  受験することにしたのです。

  

  もちろん、

  外務専門職の勉強は

  去年の夏以降できていないので、

  試験を受けたところで

  落ちるのは

  自分でもよく分かっていました。

 

  それでも、

  願書を出さずには

  いられなかったのです。

 

  もちろん、

  母にもそのことは

  報告しました。

  母は、何も言わず、

  ただ、「好きにすればいい」と

  言ってくれました。

 

  母にしても、

  私がここまで困りきるのは

  想定外だったのです。

  親心としては、

  毎日疲れ切って帰宅する娘を

  どうにかしてやりたいと

  思ったのでしょう。

  

 

  当時は土曜日も

  今のようにお休みではなく、

  午前中だけ働いていました。

  このため、

  まとまった回復時間が

  私には不足していたので

  追い詰められていったのです。

 

 

  願書を提出し、

  現実逃避の道を見つけた私は、

  再び少し元気を取り戻しました。

 

 

  疲れ切って帰宅した後、

  ほとんど勉強はできなかったのですが、

  それでも、

  「溺れる者はわらをも掴む」なので、

  気持はうんと楽になりました。

  もちろん勉強は

  ほとんどできませんでしたが。  

  

  おかげで

  勉強ができていない私は、

  大学の単位を落とす夢を

  何度も見ました。

 

  夢の途中で、

  「あれおかしい、

   私は卒業して働いているから

   ありえない、

   これは夢だ。」

  と考えたところで、

  幾分どきどきしながら

  目が覚めるのです。

 

  因みに

  この大学の試験の夢は、

  今後も何度となく

  見るようになりました。

 

  どうも私の中で

  やるべきことをしていなくて

  「まずい....」と

  深層意識で思うときに、

  ほぼほぼ必ず現れるのです。

 

  一種のバロメーター的なものです。

 

  

  そうして日が過ぎ、

  外務専門職の試験を受ける日が

  やってきました。

 

 

  さすがに

  どう考えても、

  外務専門職に合格しないことは

  私にも分かっていました。

 

 

  落ちるのがわかっていて

  わざわざ大阪まで

  出かける気力がなかった私は、

  結局、

  試験は受けませんでした。

 

 

  また、

  悩む日々が始まりました。

 

  やはり

  外務専門職には

  未練があるけれど

  疲れて切って帰った後では、

  勉強の余力は残っていません。

  夢を追い求めるのは、

  現実的ではなさすぎました。

  

  こうして

  落ち込んだ時の

  新たな逃避先として

  私が選んだのは英語です。

 

  私は

  英語を再び勉強することに

  したのです。

 

  勉強といっても

  この時期は現実逃避だったので、

  もっぱら洋書を読んでいました。

 

  英語も遠くなっていたので

  勘を取り戻すところから始めました。

 

  勘を取り戻すリハビリは

  アガサ・クリスティー。

  中学校の頃の愛読書の

  ポアロシリーズの洋書を

  読みました。

 

 

  当時は今のように

  Amazonもなく、

  洋書は街の中心部の書店でしか

  買えませんでしたし、

  結構いいお値段でした。

  

  ※Amazonで洋書を今のように

   気軽に買えるようになるのは、

   もう少し後です。

 

 

  在学中より落ちていた

  読むスピードと集中力も、

  少しずつ戻ってきました。

 

  こうして私は

  現実から逃避していたのです。

 

 

  この頃の私は、

  社会になじめないことへの衝撃と

  自分が落伍者のように思えて

  つらい時を過ごしていました。

 

 

  というのも、

  音に左右されて集中力を

  落としてミスするので、

  さらに確認作業が必要でした。

  無駄に時間がかかってしまいます。

  そして、

  人が楽しそうにしている

  職場でのいわゆる雑談が

  苦手でした。

  (本当に楽しんでいたかどうかは

    怪しいものですが)

 

 

  人が普通にできていることが

  なかなかできず

  毎日が疲労困憊だったのです。

  この状態は、

  かなり私の自己肯定感を下げました。

 

 

  雑談が苦手というのも、

  HSS型HSPの特性です。

  HSS型HSPは

  コミュニケーション能力は

  低いわけではないのですが、

  とりとめのない雑談は、

  HSS型HSPは意義が見いだせず

  苦手で疲れるのです。


 

  もちろん、

  色々な人と関わってきて、

  助け合う内に私も学びました。

 

  さすがに私も

  当時のように

  雑談は無意味だと

  切り捨てる気はありません。

 

  雑談は仕事や近所づきあいを

  円滑に進めるために

  必要な外交スキルだと、

  今ではわかっています。

  あまり好きではないし、

  得意ではないなりに、

  適度に合わせ、

  適度に流せるようにはなりました。

 

  今にして思えば

  外務専門職への

  夢が再び再燃したのも、

  現在の環境になじめないから

  「ここではないどこか」に

  逃げたかったのだと思います。

 

  その「ここではないどこか」なら

  私も社会に適合でき、

  私も社会の役に立っていると

  実感できると思っていたのだと思います。

 

  そして、

  それが

  「外務専門職」と思ったのも、

  外語を主軸とする世界なら

  生きやすいと思ったのだと思います。

 

  なっぜなら

  英語を話すときは、

  自己主張をしても許されるし、

  イギリスに行ったときの方が

  私の中で開放感があったからです。

 

  こうして、

  英語に逃げつつ、

  翌年も外務専門職の

  試験に申し込みのみして

  行かずに終わることを

  結局2年間行いました。

  

  そして、

  ようやく私は

  外務専門職への未練を

  断ち切ったのです。

 

  ただし、

  働くための希望は必要だったので、

  英語を勉強することにしました。

  そして

  いざというときは

  海外で働こうと

  思うようになりました。

  

  心の安定を保つために

  英語は私を

  自由にさせてくれるという思いから

  英語は私の

  アイデンティティーとなりました。

  今度は

  英語にすがることにしたのです。

 

  こうして、

  1年目が終わり、

  2年目の夏をを迎えました。

 

  

  2年目に入り、

  世の中の動きが

  変化したことで、

  少し自信を回復しました。

 

  今までマイナスでしかなかった

  HSS型HSPの特性が長所となる

  時代がやってきたのです。

 

  明日はそのことを

  お話しします。

  

 

  

 

 

  

 

  

   に続きます。