世界観episode49~大学4年生・学生時代最後の日々と下宿との別れ(HSP大学生後期編④)

 

 

 

 

  前回は、

  大学4年生のとき

  外務専門職に落ちたことの

  ショックと

  それにより

  地元に戻り

  公務員を目指すことに

  したことをお話ししました。

 

 

   世界観episode48~大学4年生・試験に落ちたショックと方向転換(HSP大学生後期編③)

  

 

  今回は、

  10月以降の残りの

  学生時代の日々と

  下宿とのお別れを

  お話しします。

 

 

  私は

  外務専門職に落ち

  卒業後は地元に帰り

  公務員を

  目指すことにしました。

 

  10月から

  再び勉強づけの

  生活には戻ったのですが、

  合間に

  ちゃんと思い出も

  作っておこうと

  思いました。

 

  というのも、  

  私の通った大学は

  規模の大きな私学だったので、

  私含め地方からの学生が

  多くいました。

 

  私の中の良かった友達は、

  堅実志向といいますか、

  公務員や教職員を

  目指す人が多かったので

  卒業後は

  それぞれの地元に戻る子が

  多かったのです。

  

  しかも、

  下宿生が多かったので

  後期試験が終わると

  1月中に

  下宿を引き払い、

  地元に帰る子も何人かいました。

 

 

  また、

  公務員や教職員を

  目指さない友達も

  関東方面に行く子が多かったのです。

 

  いずれにしても

  大学時代を一緒に

  過ごした友達とは

  卒業後はなかなか

  会うことが難しくなるのは

  確実でした。

 

  1997年、平成9年卒業時点では、

  今のような

  手軽につながることのできる、 

  FacebookやLINE、

  INSTAGRAM等のSNSはないので、

  連絡手段は

  電話か手紙でした。

   

  もちろん

  過去を振り返るばかりでは

  前に進めないので

  それで良いし、

  自然なことですが、

 

  仕事をして忙しくなり、 

  価値観も

  当然それぞれ変わっていく中

  大学時代の友人とは

  疎遠になっていくのは

  遠からぬ日となることは

  ほぼ確実でした。


  

  こうして、

  思い出作りをすべく

  私は

  それまで控えてきた

  京都観光を夏頃から

  始めました。

 

  訪問には予約が必要な

  修学院離宮にも

  予約をして

  プチツアーの感じで

  訪れました。

 

  また、

  東京から

  はるばる青春18切符で

  ローカル線を乗り継いで

  京都に来てくれた

  心の友の友人とは

  夏に比叡山に訪れました。

 

  彼女と訪れた

  夏の比叡山は、

  心にしみいる経験でした。

  夏の比叡山の静寂の中

  蝉の声だけが静かに

  山の中に響き渡るのです。

  静寂の美しさを感じました。

  

  彼女は

  私と同じように感じ、

  私が感情を

  言葉にして欲しくないときには

  言葉にせず、

  静かに感情を一緒に

  味わってくれる人です。

 

  そんな友達と

  比叡山の夏を

  味わうことができたのは、

  今でも宝物です。

 

  秋になると、

  人混み嫌いの私も

  紅葉を見に行きました。

 

  そして、

  冬は

  ピザを囲んで

  ラストの

  クリスマスパーティーを

  楽しみました。

 

  何を話したかは

  もう覚えていませんが、

  楽しかったのだけは

  覚えています。

  

  私には、

  今は疎遠になっていますが、

  もっとも親しく

  一緒に長い時間を過ごした

  友人が1人いました。

 

  彼女との

  いつもどおりの

  おだやかな

  時間を過ごしたのも、

  大切な思い出となりました。

 

  彼女からは

  映画や読書や絵の趣味などで

  影響を受け、

  趣味や嗜好の幅が広がりました。

  彼女は、

  卒業後アメリカに

  行きたかったようなので、

  英語の勉強を頑張っていたので、

  よく図書館で一緒に勉強していました。

   

  彼女と出会わなければ

  私の趣味に映画は加わらなかったし、

  フランス映画なんて

  まず観ることはなかったと思います。

 

  絵画も私は古典派が好きだったので、

  現代アートに興味を抱くことは

  まずなかったでしょう。

  キャンベル缶でおなじみの

  アンディ・ウォーホール、

  バスキア...。

  NYに行ったとき、

  本物を観て感動することができたのは、

  彼女のおかげです。

 

  新しい物アレルギーというか、

  高尚でない美術についての

  偏見があったことを

  教えられました。

  現代アートの自由さは

  彼女がいなければ

  多分一生気づかなかったと思います。

 

  また、

  ゼミの仲間と

  10月には

  就職が決まっているので、

  ゼミの授業にも

  生徒が戻ってきました。

  残りの日々を

  普通に授業を受けるのは

  楽しかったです。


  

 

  そして

  勉強する私に遠慮していた両親も

  下宿を引き上げる前に、

  京都に遊びに来ました。

  冬の寒さの中での

  京都ならではの良さを

  満喫したようでした。

 

  そうこうする内に日は経ち、

  下宿を引き払う日が

  近づいてきます。

 

  確か2月末の予定で

  下宿を引き払うことにしていたので、

  12月頃から少しずつ

  引き払う準備を始めました。

 

  洗濯機や冷蔵庫は

  就職を機に下宿する

  ゼミの友達に譲ることに

  しました。

 

  4年間愛用していた自転車も

  同じ子に譲ることにしました。

 

  長く愛用していた物を

  譲り渡したときは

  少し寂しい気持ちになりました。

 

  それから、

  本棚の本を箱に詰めたり、

  よく聴くCD以外は

  箱に詰めたり、

  服や食器も少しずつ

  箱詰めを始めました。

 

  少しずつ部屋の面積が増え、

  なじみの風景が

  減っていくのを見ると、

  大学生活が終わることが感じられ、

  しんみりさみしく思ったのを

  今でもはっきり覚えています。

 

  下宿を引き払うときには、

  掃除等もあるので

  母が手伝いに来てくれました。

  

  母が手伝いに来たときには、

  部屋に敷いていた絨毯も処分し、

  カーテンも外していました。

 

  部屋の中は

  ほぼ最後の荷物以外は

  箱詰めしていたため

  かなりがらんと

  よそよそしくなりました。

 

  母との下宿最後の晩餐は、

  下宿の近くにあった

  なか卯でしました。

 

  なか卯は

  3年生で引っ越しをしたときの

  母との最初の晩餐の場所でした。

  私はその日と同じ

  玉子丼を注文しました。  

  玉子丼は

  当たり前ですが

  2年前と同じ味がしました。

  

  絨毯を処分し、

  カーテンも外した

  寒々とした部屋で母と

  布団に丸まって寝たのを

  覚えています。

 

  引っ越し業者に

  荷物を引き取ってもらい、

  拭き掃除を終えた部屋は

  馴染のない

  よそよそしさのある部屋に

  変わっていました。

 

  「あー、本当に

   もう終わっちゃったんだなぁ」

 

  しんみり思った気持ちを振り払い、

  母と下宿を後にしたのを

  覚えています。

    

 

  親元を離れた

  私大の英文学部で4年間

  学んだことは

  私の財産です。

 

  母が私に願った経験を

  私はすることができたと

  今過去を振り返って

  自信を持って言えます。

 

  HSS型HSPで、

  繊細で自己肯定感が低めなくせに

  プライドの高い私が

  人生を歩むのに必要なことに

  出会わせてくれた両親に

  感謝しています。

 

 

 

  

  明日は、  

  大学生編の最後、

  卒業式と

  ゼミの仲間との思い出深い

  卒業ゼミ旅行のことをお話しします。

 

 

       

 

 

 

 

  

   に続きます。