世界観episode48~大学4年生・試験に落ちたショックと方向転換(HSP大学生前期編③)

 

 

 

  前回は、

  大学3年生になり、

  大学の勉強も

  忙しくなる中

  ダブルスクールに

  通い始めたときのことを

  お話ししました。

 

 

   世界観episode47~大学3年生・ダブルスクールとストレス(HSP大学生後期編②)

  

 

  今回は、

  外務専門職の試験に

  落ちたこと、 

  それを機に地元に戻り

  公務員の試験を受けることに

  したことをお話しします。

 

  

  外務専門職の試験は 

  6月だったと思います。

 

  暑い日で、

  ただ経済原論の筆記が

  本当にできなかったことが

  ショックで

  試験の問題を解きながら

  なんとか気持ちを立て直そうと

  必死だったことを強く覚えています。

 

 

  合格発表は7月。

  日差しの強い

  天気の良い熱い日でした。

 

  試験の結果は

  大阪府庁に貼り出されました。

 

  私は落ちているのは

  分かってはいるけれど、

  この目でちゃんと

  確認したかったので、

  はるばる大阪府庁まで

  見に行きました。

 

  府庁で結果を見たときは

  「あーやっぱり。

   できなかったもんなぁ」

  とどこか冷めた自分を

  感じていました。

  

  「あれ?

   案外平気なんだ、私」

  と不思議な感じで

  府庁を後にしました。

  

  しかし、

  地下鉄に乗ったとたん、

  涙が後から後からこぼれ、

  嗚咽が止まりませんでした。

  

  悲しさとショックで

  試験結果の掲示を見たときは、

  感情が麻痺していたのです。

 

  地下鉄に乗り、

  ようやく落ちたことが

  じわじわ押し寄せてきて

  悲しさを感じ始めたのです。

  

  確か四条に着くまで

  阪急電車に

  小一時間揺られるのですが、

  泣き通しでした。

 

  人目なんか

  全く気にしていませんでした。

 

  そうして

  なんとか下宿に帰り、

  下宿の部屋に入ると、

  力が抜けて

  しばらく入り口で

  しゃがみ込んでしまいました。

 

  一応悲しくても

  両親に試験の結果の

  連絡をしないといけないと

  思ったので、

  落ちた旨の電話をしました。

 

  電話をかけたとき

  運良く母が出ました。

 

  電話では、

  最初私は

  「試験の発表が今日だったこと、

   府庁までの結果を見に行ったこと」

  までは普通に話せました。

 

  ですが、

  そこからは

  泣けてきて嗚咽が抑えられず、

  途切れ途切れになりながら 

  試験に落ちたことを

  母に告げました。

 

  母からは、

  「つらかったね。

   よく今まで頑張ったね。

   府庁にちゃんと行ったんだね。

   府庁からよく帰れたね。

   つらいのによく頑張ったね。  

   自分を責めちゃ駄目だよ。

   今日はもう

   何も考えずゆっくり寝なさい」

   

   と言われました。

 

   下手な慰めをすると、

   ただでさえ傷ついている

   私のプライドを

   さらに傷つけることを

   知っていた母は、

   それ以上は

   何も言いませんでした。

 

   私も母から

   下手な慰めや

   今後をどうするのかと

   すぐ聞かれなかったことに

   ほっとしました。

 

   泣きながら

   母の優しさに

   心の中で感謝しました。

 

   試験結果の発表後、

   結局私は

   ショックで

   丸三日ほど寝込んで

   動けませんでした。

 

   しばらくして

   動けるようになった私は、

   今となっては

   なぜそうしたのか

   分からないのですが、

   大学の学生協の書店コーナーに

   私は立ち寄りました。

 

   私は本を読まないと

   ストレスを感じるくらい、

   本を読まないと駄目な

   人間でした。

 

   外務専門職の

   試験を間近に控える

   4年生になってからは

   本を読むのも控えていました。

 

   それで久しぶりに

   気晴らしに本でも

   買って読もうかと

   思ったのかもしれません。

 

   もしかしたら

   それともただ書店を  

   ぶらつきたかった

   だけかもしれません

   

   学生協の書店で

   運命の1冊となる本に

   出会いました。

 

   ヘルマン・ヘッセの

   「車輪の下」です。

   

   それまで、

   「車輪の下」は有名だから

   読んだ方がいいけど

   私は

   あまりの暗さに

   読んでいませんでした。

 

   それなのに

   なぜそれを手に取ったのか、

   今もって謎です。

   

   試験に落ちて

   落ち込んだついでに

   さらに落ち込もうと

   思ったのかもしれません。

 

 

    ※「車輪の下」

     車輪は比喩です。

     実際に車輪に

     潰される話ではありません。

 

     名門神学校に

     周囲からも期待され入学した

     主人公の秀才ハンス少年が

     奔放なヘルマンと

     友達になったことを機に

     落ちこぼれた挙げ句、

     精神を病み故郷に帰され、

     機械工として働くも

     最後は泥酔して....。

     という救いようのない暗い話です。

    

     私は

     暗い小説や映画での

     心理描写が好きなので

     好んで楽しみはしましたが、

     ただそれは、

     どこか破滅の美学・退廃美を

     感じられるもの限定でした。

 

     この本は読むと本当に

     救いようのない暗い気持ちになれます。

  

 

   「車輪の下」の

   主人公のハンスが次第に

   エリートから転落し、

   精神的に追い詰められ

   壊れて行く様子は、

   試験に落ちたばかりで

   しかもストレスで

   帯状疱疹になったり

   ストレス性の皮膚炎になったり私には、

   とても人ごととは思えませんでした。

 

   ただもう

 

   「このままいったら

    私もハンスになる。

    ハンスのようには

    なりたくない」

 

   とだけを切実に感じた私は、

   両親との約束通り、

   大人しく

   大学卒業後は

   地元に帰ることにしました。

 

   そして、

   不相応な

   外務専門職を狙わず

   身の丈に合った

   普通の公務員を

   目指そうと思ったのです。

 

   そう決めた私は、

   すぐに母に電話をしました。

  

   母は意外そうでしたが、

   私が「車輪の下」を読んで

   ハンスみたいになりたくないと

   切々と説明したら、

   「帰ってきてくれるのは

    嬉しいけど

    それで良いの?

    本当にそう思うなら

    そうすれば良いよ。」

   と言って一応納得したようでした。

   

   母もかつて大学生の頃

   「車輪の下」を読んで

   衝撃を受けていたので、

   私の訴える恐怖感を

   理解したようでした。

 

   高校3年生のとき、

   数学の塾で一緒だった

   私の心の友といえる

   友人にも連絡しました。

 

   彼女も

   よく読書をする人だったので、

   「車輪の下」を読んでいました。

   彼女は

   私が進路変更を

   「車輪の下」で説明すると、

   妙に納得してくれました。

 

   そして、

   「何より

    180度違う道に進むことの

    決定の理由が小説で、

    『車輪の下』というのが

    私らしい 」

 

   と電話の向こうで

   彼女は朗らかに言いました。

 

   こうして、

   私は

   外務専門職に

   別れを告げました。

 

   そして、

   10月から本気で

   公務員の試験勉強を

   開始することにしました。

 

   8月・9月は、

   残り少ない大学時代の

   思い出作りを

   したかったのです。

 

   そして

   夏休み明けの9月、

   episode46で

   お話ししたように

   恩師に

   外務専門職の試験を受けて

   落ちたこと、

   そして

   方向転換して地元に帰り

   公務員の試験を

   受けるつもりであることを

   報告しました。

 

   恩師に行く末を心配されつつ、

   私は再度

   新たな道に進む決意を

   したのでした。

 

   

   10月から始めた

   公務員の試験勉強ですが、

   外務専門職と異なり

   裁判所の事務官以外は

   論述筆記がありません。

 

   その代わり

   私は新たに

   民法・刑法・行政法等の法律と   

   本格的に択一問題の一般教養を

   勉強する必要がありました。

 

   というのも、

   それまでは

   足切り対策として

   数的処理のみを

   重点的に勉強していただけで、

   日本史をまるで

   勉強していなかったからです。

   私の日本史は

   中学校レベルで止っていたからです。

 

     

   今回私は

   両親に

   ダブルスクール代を

   ねだる気はありませんでした。

   

   私は

   独学で勉強することにしたのです。

 

   こうして10月から

   地味に9時まで

   大学の図書館で勉強する毎日を

   おくる日々が再開しました。

 

 

   今でも、

   なんであんなに

   「車輪の下」に影響を受けたのか、

   謎です。

 

 

   ただ、あり得るとすれば、

   私がHSS型HSPで、

   HSS型HSPは、

   怖い話やニュースの影響を

   受けやすいことが

   決断の要因だったのだと思います。

 

   

 

   明日は、

   10月以降、

   学生時代の最後の日々について

   お話しします。  

   

 

     

 

 

    

 

  

   に続きます。