世界観episode30~中学校3年生・マラソン大会とプライド(HSP中学校番外編④)

 

 

  前回は

  中学校3年生のときの

  バスケのフリースローの

  テストのことをお話ししました。

 

   世界観episode29~中学校3年生・バスケのフリースローのテスト(HSP中学校番外編③)

  

 

  今回は、

  中学校3年生のときの

  マラソン大会のことを

  お話しします。

 

  

  私は短距離は得意でしたが、

  長距離走は苦手でした。

  

  

  小学校では、

  冬になると  

  体力作りの一環として

  隔週水曜日の朝、

  通学路を走らされました。

  2学年ずつセットで

  距離を変えて

  走らされるのですが、

  2学年あわせても

  いつも最後の方でした。

  

  あまりにも

  長距離走が苦手で、

  遅いので、

  私もまずいと思い、

  母にマラソンの練習を

  見てもらっていたほどでした。

 

  小学校の6年生のときは、

  当時仲良かった子が

  私に気を遣ってくれて、

  毎朝一緒に走ってくれました。

 

  それだけ努力しても、

  やはり私は長距離走が

  苦手で、大嫌いでした。

 

  当然、

  小学校の頃

  走れなかった人間が、

  中学生になったからといって

  走れるように

  なるわけはありません。

 

  中学校の

  スポーツテストの

  長距離走1,000メートルの

  私のタイムは大体6分後半、

  中学校の女生徒の平均タイムが

  5分前半だったので、

  かなり遅いことがわかります。

  

  しかも、

  確か一番酷いときは

  7分近かった

  ぐらいだったような....。

  

  そしてそのときは、

  後から保健室に運ばれて、

  1時間以上寝込みました。

 

 

  そんな私にとり、

  中学校の

  冬に開催されるマラソン大会は

  恐怖でした。

 

 

  幸い1年生のときは

  記憶がないのですが、

  マラソン大会は

  ありませんでした。

 

 

  2年生のときは、

  確か、

  マラソン大会で走る

  道路が工事中だったため、

  マラソン大会が中止されました。

  しかし、

  そのかわり12分間走が

  行われました。

 

  マラソン大会なら

  1回で済むところ、

  12分間走になったため、

  ほぼ冬の間の

  体育の授業ではずっと、

  体育の授業の前半に

  12分間走らされました。

 

  いっそのこと

  一度で済むマラソン大会が

  あればよかったのにと、

  体育の授業のたびに

  心の中で毒づいたのを

  今でも苦く思い出します。

 

 

  因みに、

  12分間走ですが、

  運動場のトラックを

  延々12分間走り続けるのです。

 

 

  マラソン大会らば、

  走れば景色が変わるので、

  まだ気休めもできます。

 

  そして、

  距離を走りきれば

  終わるのですが、

  12分間走は、

  景色が変わらない中を

  延々12分間

  トラックを周回するので、

  本当につらかったです。

  

 

  しかも、  

  トラックの周回なので、

  みんな同じところを

  ぐるぐる走るので、

  早い子にどんどん抜かされ、

  どんどん周回遅れになります。

  

 

  抜かれる瞬間、

  「また抜かれた...」と感じながら

  必死で走るのは、

  なかなかつらいものがありました。

 

   

  これだけ

  走ることができなければ、

  酷い自己嫌悪と劣等感に

  襲われそうなものですが、

  なぜか

  マラソンでは、

  私が他の場合に感じるような

  劣等感と自己嫌悪の嵐は

  起こりませんでした。

 

 

  今にして思えば、

  おそらく、

  あまりにも苦手すぎて、

  努力でどうこうできる

  範疇を超えていたので、

  自己嫌悪が起こる隙が

  なかったのでしょう。

 

 

  そして、

  3年生のときの

  マラソン大会のことを

  お話しします。

 

  マラソン大会の開催の頃、

  ちょうどインフルエンザが

  はやっており、

  ひょっとして、

  このままマラソン大会で

  走らなくて済むかと

  私は淡い期待を抱いていました。

  

  しかも、

  ちょうど私自身、

  マラソン大会の日に

  人生初のインフルエンザにかかり、

  39度を超える高熱に苦しみました。

  

  そのときに、

 

  「これでマラソン大会に

   堂々と出なくてすむ...

   神様、ありがとう....」と

  

  ほっとしたのを覚えています。

  

  残念ながら、

  マラソン大会は

  インフルエンザによる

  複数のクラスの学級閉鎖により

  いったん中止になっただけで、

  後日開催されることになりました。  

 

  

  後日の開催を聞いたとき、

  神様に裏切られた気がしました。

 

 

  結局

  私はマラソン大会で

  走ることになりました。

 

 

  姉の勧めもあり、

  事前に母に付き合ってもらい、

  マラソン大会の練習のために

  晩に家の近所を走りました。

 

  練習して備えた

  マラソン大会当日は、

  天気の良い日でした。

  

  本当に女子あるあるで、

  「一緒に走ろうね!」

  「置いていかないでね!」と

  いう約束は、

  見事に途中で破られました。

 

  約束した友達は

  みんな私より早く走りました。

 

  どうせ置いていかれるだろうと

  思ってはいましたが、

  やはりちょっと嫌な気持ちには

  なりました。

 

  しんどいなりに、

  私は走り続けました。

  途中も歩かず、走り続けました。

 

 

  ゴール近くには、

  監督の先生が

  立っていました。

  

  よれよれで走る私を見た先生は、

  私に、

  「よく頑張った。

   あと少しだから頑張れ!」と

  声をかけてくれました。

 

  先生の言葉で

  初めてゴールが近いことを

  知りました。

 

  苦しすぎて

  自分が現在どのあたりを

  走っているのか、

  学校の近くであっても

  分からなくなっていたのです。

 

  

  そのあたりになると、

  私より先に走っていた子達の

  姿が見えました。

 

  彼女達は、

  ゴール目前ということで、

  疲れていたこともあり、

  少ししゃべりながら

  歩いていたのです。

 

 

  私は

  「チャンスだ!

   これでビリにならずにすむ!!」

  と思い、

  残る力を全て出し切って

  全力で走りました。

 

  何人も抜かしていきました。

 

  その中には、

  顔見知りの子もいました。

  

  抜かす瞬間、

  その子が驚いた顔を

  したのを覚えています。

 

 

  まさか最後になって

  こんなに全力で

  走れる人間がいるとは、

  思ってもいなかったのでしょう。

 

  

  別に、

  私は意図的に

  体力を温存していた

  わけではありません。

 

  ただ、

  「ビリになりたくない!!」

  という思いにかられ、

  必死で走ったのです。

 

 

  思えば、

  小学校の体力作りのときも、

  必死のラストスパートのおかげで

  ビリになったことは

  ありませんでした。

 

 

  4歳上の姉ですが、

  姉は私と違って

  短距離走は得意では

  ありませんでした。

 

  ですが、

  長距離走は、

  持ち前の粘り強さと

  計画的なペース配分により、

  こつこつ走り、

  姉は最終的には

  真ん中より早い順位で

  走り終えるタイプでした。

 

  当然、

  そんな姉には、

  ラストスパート

  はあり得ません。

 

 

  姉からすると、

  私のこのラストスパートは

  理解不能だったようです。

 

  そんなに最後に

  走る余力があるのなら、

  途中で走ればいいのにと

  とよく不思議がられました。

 

 

  なぜそんなに苦しいのに、

  ラストスパートができたのか。

 

  それは、

  ただただ必死に

  プライドを守るためでした。

 

  私も途中は、

  本当に苦しくて

  全力で走っているのです。

  

  別に、

  ラストスパートのために

  力を温存しようと

  していたわけではないのです。

 

 

  HSS型HSPの特質に、

  自己肯定感は低いが

  自尊心が高いというのがあります。

  そして、

  負の感情をバネにかえて

  頑張ることができるという

  特質もあります。

 

 

  この特質のおかげで、

  ラストスパートができた私は、

  長距離を走るときに

  ビリになることはありませんでした。

  必ず最後に数名いるくらいの

  成績でゴールしていました。

 

 

  もっとも、

  高校生に入り、

  ストレスからの過食・食べ吐き等で

  体力を消耗していたときは、

  もうビリになってもいいと

  思うくらい体力が落ちていたので、

  ラストスパートはできず、

  ビリでした。

  

  

  このときは、

  過呼吸で授業のマラソン後、

  保健室に運ばれたこともあるくらい、

  走れなくなっていたのです。

 

 

  苦しさが、

  プライドを守ることに勝ったのです。

  気力が無くなっていた私には

  ラストスパートをする力が

  出せなくなりました。

    

 

  話を戻して

  中学校のマラソン大会ですが、

 

  今となっては、

  途中でリタイアせず、

  歩きもせず、

  最後まで走りきり、

  しかも、

  ラストスパートのおかげで

  ビリにならなかったのは、

  私にとり、

  誇れる思い出です。

 

  後から悔やみたくないという

  思いもあり、

  必死で頑張った当時の自分を

  褒めてやりたいと思います。

 

  そして、

  かりにマラソン大会で

  走らなかったとしたら、

 

  「お姉ちゃんは

   マラソン大会で

   ちゃんと走ったのに、

   私は走らなかった」

 

  という思い出に、

  その後も長く

  苦しめられることになるので、

  走ることができて良かったと

  心から思っています。

 

 

  逃げずに済んだことは、

  長い目で見ると、

  私を走らせてくれた神様に

  感謝すべきできごとでした。

  

 

  次回から、

  高校での番外編に入ります。 

  

 

  

 

 

   

 

  

   に続きます。