世界観episode25~父と姉と私のピアノ(HSP高校編・その④)

 

  前回は

   

  高校3年生のときの

  受験ストレスと

  その解放のことを

  お話ししました。

 

 

   世界観episode24~高校3年生・受験ストレスとその解放(HSP高校編・その③)

 

 

   今日は、

   父と姉と私の3人の

   ピアノのことをお話しします。

 

 

   高校編で大学受験の後に

   ピアノのことをお話しする理由は、

   この時期、

   特にピアノが私にとっての

   感情のはけ口だったからです。

 

   そして、

   この父・姉・私の関係が

   私のピアノとの付き合い方に

   大きな影響を与え得たからです。

 

   

   まず、

   姉と私のピアノのことを

   お話しします。

 

 

   私と姉は小学校の時から

   同じピアノ教室に

   通っていました。

 

   私は

   ピアノは、

   高校2年生で

   やめるまでの11年ほど

   続けました。

  

   

   ピアノを習うのをやめたのは、

   勉強に集中するためでした。

 

   高校2年生でやめたのも、

   姉が同じ理由でやめたからです。

  

 

   ピアノを習いに行くのをやめても

   ピアノは私にとって

   大切な物の一つでした。

   

 

   私にとって、

   ピアノは

   大切な感情の吐け口でした。

 

   このため、

   中学・高校の

   精神的に不安定だった頃、

   私はよく学校からの帰宅後

   諸々の思いをピアノにぶつけ、

   1時間以上弾いていました。

 


   自分が弾きたい曲を弾くために、

   指の練習、片手ずつの練習を

   曲を弾く前に必ずしていたので、

   ピアノを習いに行くのを

   やめてからの方が、

   真面目にピアノを弾いていた

   かもしれません。

 

 

   そんな私は、

   高校3年生の頃、

   私は母にピアノへの思いを

   こう語っていました。

 

    「無人島に

     何か一つ持っていくなら

     私はピアノを持って行く。

 

     ピアノは

     自由な気持ちに

     させてくれるし、

     弾いているときは

     嫌なことや怖いこと、

     全てを忘れさせてくれるから。」

     

 

   今から考えると、

   あまりの中二病さに

   恥ずかしくなりますが、 

   それくらい、

   当時の私にとって、

   ピアノは大切な物だったのです。

 

 

   一方姉は、

   ピアノを習いに

   行かなくなってからは、

   家でピアノを弾くことは

   ありませんでした。

   感情が常に安定していた姉にとり、

   感情を一定レベルに保つために

   ピアノで定期的に吐き出す必要が

   なかったからです。

    

   

   個性の違う私たち姉妹は、

   ピアノで奏でる音も

   当然全く違いました。  

 

 

   姉は子供の頃から、

   ピアノの先生の

   言いつけをちゃんと聞き、

   家でも毎日大体1時間くらいは

   ちゃんと練習していました。

   

   テンポが崩れぬよう、

   メトロノームにあわせて

   正確に弾く姉は、

   感情を曲に乗せて

   ピアノを弾くというより、

   テンポを崩さず

   綺麗に弾く人でした。

 

   姉のピアノは、

   明るく正確な

   モーツアルトのピアノソナタや

   明るく優しい

   シューベルトの曲が

   似合いました。

      

   もっとも、

   本人が一番好んだのは

   エモーショナルな

   ショパンのエチュードでしたが。

 

 

   今度は父とピアノのことを話します。

   

 

   クラシックを愛する私の父が

   一番好きなのは、

   明るく澄んだ音を響かせる

   モーツアルトでした。

   父はたくさんレコードやCDを

   所有していました。

   レコードだけでも900枚近く

   所有していました。

   

   その中でも

   モーツアルトの

   レコードやCDの占める割合は、

   他の作曲者の作品より

   圧倒的に多かったほどです。

   

   父は、

   ベートーベンのピアノソナタを

   聴くことがあっても、

   父の好むピアニストが弾く

   ベートーベンのピアノソナタは

   苦悩が少ない、明るい感じのもので、

   私には物足りないものでした。

   

   

   父はたまに聴くショパンも

   聴いていましたが、

   ショパンの曲の中でも、

   華麗なる円舞曲や

   子犬のワルツ等の

   軽く華やかな曲調のものを

   好んでいました。

 

 

   父の好みは、

   姉の弾くピアノと

   一致していました。

 

   父は姉がピアノを弾くときは、

   いつも嬉しそうに、

   姉のピアノを聴きながら、

   ふんふんとピアノに合わせて

   鼻歌を歌っていました。

 


   姉が家でピアノを弾くのを

   すっかりやめてしまったので、

   姉のピアノを好んだ父は

   残念そうでした。  

   

 

   一方、私は

   私はピアノの練習が

   大嫌いな子供でした。

   ピアノ教室で習う

   子供の課題曲が退屈で

   嫌いだったからです。

   

   幼い頃から

   父の一流の演奏家の

   クラシックレコードを

   聴いていた私は、

   自分の実力は無視して、

   聴いてもうっとりしない

   子供の練習用の曲が

   大嫌いだったのです。

  

 

   嫌いなことは

   したくなかった私は、

   ちゃんとした曲を

   弾けるようになる4年生までは、

   発表会の前以外は

   ピアノの練習を

   普段ほとんどせず、

   真剣に練習するのは、

   レッスンの前1時間だけの

   不真面目な子でした。

   

  

   基礎の練習を

   真面目にしなかった私は、

   楽譜が読めず、

   父の持つCDで

   一流の演奏家が弾くのを聴き、

   耳で雰囲気を覚えて、   

   そのイメージを頭の中で

   なぞりながら曲を弾いていました。

 

   そんな私の弾くピアノは、

   情緒に流れる分、

   テンポは崩れがちでしたが、

   情操のこもった良いピアノを弾くと

   ピアノの先生には

   褒められていました。
  

 

   ピアノを弾くとき、  

   私はいつも曲と一緒に

   頭の中で歌いながら弾いていました。

 

   そして、

   感情の赴くままに弾くのが

   気持ちよくて

   大好きだったのです。

   

   

   私は、

   父の好きな

   明るく脳天気な感じの

   モーツアルトの

   ピアノソナタが好きではなく、

   弾くとイライラしました。

 

   私は、

   苦悩を昇華した先にある

   人生の喜びを表現したような

   ドラマチックな

   ベートベンの方が好きでした。

 

   ショパンも父の好む

   可愛い子犬のワルツより、

   父があまり好まない

   革命のエチュードのような

   ドラマチックで

   エモーショナルな曲が好きでした。

   

   そんな

   エモーショナルな曲の方を愛する

   私でしたが、その一方で、

   左右同等にメロディーが進行し、

   感情を制御しないと綺麗に弾けず、

   弾いていると

   えも言われるぬ陶酔感を覚える

   バッハを弾くのが好きでした。

 

 

   父はバッハは退屈に思うらしく、

   私がバッハを好んで弾くのは

   好きではなかったようです。

 

   

   大学受験前の頃、

   一番精神的に不安定になり、

   不安から逃れたかった私は、

   学校から帰ると

   制服も着替えず、

   ピアノに直行し、

   一心不乱に

   ピアノを弾いたものでした。

 

 

   不安定なときに

   弾くピアノは当然テンポが乱れ、

   感情を曲に反映させる私が弾くピアノは、

   不安やいらだちが全面に出た

   聴き苦しいものだったと思います。

  

 

   あるときとうとう、

   仕事からたまたま

   早く帰宅した父に

 

 

   「弾くのをやめないか!

    穏やかじゃないし、

    音楽になっていない。

    音が荒れすぎて早すぎる!

    弾くならちゃんと弾け」と、

   

 

   叱られてしまいました。

 

 

   母にもその前に、

   もう少し穏やかに弾くよう

   たしなめられたことはありました。

   

   母は私の気持ちを慮って

   私の弾くピアノに我慢してくれて

   いたのです。

   母は、弾くのをやめろとまでは

   私に言いませんでした。

 

 

   必死に感情を吐き出していた私は、

   思いもしない父の厳しい言葉で、

   自分のピアノが

   酷いものだという現実を

   突きつけられました。

 

 

   父の言葉を聞いた

   その瞬間、

   息が止まったのを覚えています。

   それから、

   恥ずかしくてくやしくてたまらず、

   自室で泣いたのを覚えています。

 

 

   この件以来、

   私は父のいる前で

   ピアノを弾くのをやめました。

 

   ピアノを弾いていても

   父が帰宅すると、

   慌てて弾くのをやめ、

   ピアノの蓋を閉めました。

  

 

   これは、

   その後もずっと続きました。

   

   そして、

   十数年後には、

   父にまた何か言われたら

   どうしようという気持ちが

   強くなりすぎて、

   とうとう私はピアノを弾くことが

   できなくなってしまいました。

      

   

   一流の奏者の演奏を愛する父は、

   耳が肥えていました。

   そんな父は私にとって

   誇らしく思えもしました。

   

   しかし、

   耳の超えた父が、

   テンポ正しく弾く姉と私とを

   いつも比べていたのは

   明らかで、

   それはとても嫌なことでした。

   

   私は姉と比べられるのも

   つらかったし、

   父の愛する一流の演奏と  

   比べられても

   かなうわけがないので、

   どうしようもない悲しさと

   劣等感と自己嫌悪に

   襲われていたからです。

 

   

   HSS型HSPは、

   繊細で感受性が高く、

   芸術的センスがあるそうです。

   このため、

   HSS型HSPの私の方が、

   そうでない姉よりも

   曲に感情を乗せて弾くのが

   得意だったり、

   曲の耳コピーが得意でした。

 

 

   今にして思えば、

   頸椎等の痛みで体調も優れず、

   仕事や家のことで

   苦悩し、

   毎日仕事から疲れ切って帰宅する父には

   私のピアノは重すぎたのです。

 

   私の心の叫びを乗せて弾くピアノを

   延々と聴かされるのは、

   美しい音楽を愛す父にとっては、

   音楽への否定であり

   無神経極まりないことだったのです。

 

 

   父にとり、

   音楽は疲れ切った心を癒やし、

   慰めてくれる

   昔からの

   神聖で大切な友達だったのです。

 

 

   そんな父にとって、

   私のピアノが耐えがたいものだったのは

   今なら分かります。

   その当時は、

   気づいてあげることは

   できませんでしたが.....。

 

   

   このピアノの出来事は、 

   「私にとり、

    父のお気に入りは姉、

    私は父の望むようなピアノは

    弾けない、

    姉のようにきちんとピアノを

    弾けない。」

   という思いを強く刻み、

   芸術面でも

   姉を超えられないことを自覚し、

   父のことが嫌になった

   象徴的なできごとでした。

     

 

   高校時代の大きな

   エピソードとしては、

   当時の私の揺れる感情を

   支えたピアノのことを話して

   終わります。

 

 

           明日からは、

   番外編として、

   中学校・高校で経験した

   HSS型HSPならではの出来事を

   少しお話しします。

    

 

            

 

 

   

  

   に続きます。