世界観episode24~高校3生・受験ストレスとその解放(HSP高校編・その③)

 

 

 

 

  前回は

  

  高校2年生のときに

  成績が下がり、

  重度のストレスに

  見舞われたことをお話ししました。

 

   世界観episode23~高校2年生・成績の失速と重度のストレス(HSP高校編・その②)

 

   

   今回は、

   ようやく受験が終わり、

   受験ストレスから

   解放されたときのことを

   お話しします。

 

   

   高校3年生の5月頃、

   かねてから体調の悪かった

   父方の伯母が亡くなました。

 

   伯母が亡くなるとき

   私は学校から呼び出され、

   伯母を

   両親と共に看取りました。

 

 

   クリスチャンだった

   伯母のお葬式は、

   静かで、個人を偲ぶお葬式でした。

 

   父が伯母のことを

   思いながらした葬儀での挨拶と、

   伯母の通っていた教会の

   牧師さんの話を聞くと、

   私も自然と涙が溢れ、 

   伯母のことが

   あんなに嫌いだったのに、

   不思議と

   わだかまりが消えてなくなりました。

 

 

   そのおかげか、

   お葬式の翌日の全国模試は

   過去最高のできでした。

 

 

   その後も順調でした。

   夏が終わり、

   受験が現実味を帯びてくるまでは。

 

    

   私の第一志望の大学は

   外語大学でした。

   ところが、

   一番伸びなければならない

   英語が伸び悩んでしまったのです。

 

   理由は、

   外大の合格で求められる水準の

   英語の訳ができなかったからです。

 

   これには、

   高校2年生のとき、

   英語の成績が落ちたときのことが

   大きく関係します。

 

   2年生のときに外大に行こうと

   決めていた私は、

   テストで英語を訳すときに

   本来は文法に沿った訳を

   しなければならないところを、

   文法に沿った訳をせず、

   意訳を行い、

   綺麗な日本語訳を

   目指してしまったのです。

 

   そのため文法を理解していないと

   テストでは判定され、

   英語の成績はがくんと落ちました。

   

 

   これを機に私は

   完全に意訳を封印しました。

  

   皮肉なことに、

   いざ意訳が求めらるようになったら、

   テストの点が下がることへの恐怖と、

   成績が下がることにより

   自分の存在価値が下がることへの恐怖から

   私は以前のような意訳が

   できなくなってしまったのです。

 

 

   志望の大学で

   学びたい語学もあったのですが、

   私の大学進学の一番の目的は、

 

   難関大学似通う姉と

   比較されたときに

   遜色のない偏差値の高い大学に

   通うことだったのです。

 

   つまり、

 

   「お姉さんは

    ○○大学に行っているの。

    まぁ、優秀だねぇ。

    

    ところで妹さんは?」

   

    と世間話で、

    聞かれたときに、

 

   

    「上のお嬢さんも

     下のお嬢さんも優秀なのね」

 

    と言われないと駄目だったのです。

    

    そう言われないことは、

    当時の私にとり、

    私自身に価値がないことを示すので

    恐怖だったのです。

 

    だから、

    間違ってもそのときに、

    「ああ、そうですか....」と言われ、

 

    心の中で、

 

    「下のお嬢さんは、

     お姉さんに比べると

     勉強ができなかったのだな」と

 

    言われることは

    あってはならなかったのです。

 

   

    この先の長い人生の間中、

    ずっとそのことを

    聞き続けなければならないことは

    私にとってものすごい恐怖でした。

 

 

    私は高校3年間は、

    思い切り遊ぶことも、

    本や漫画を読みふけることも、

    男の子にドキドキすることも、

    勉強を最優先にして、

    我慢し続けました。

    

    

    一時の快楽に気を取られ、

    本来の目的を達成できないのは、

    当時の私にとっては、

    愚の骨頂でしかなかったのです。

 

   

    もちろん、

    勉強ができる・できないが

    全てではないと、

    自分以外の人に対しては

    思っていました。

     

    でもどうしても、

    自分に対してだけは、

    そう思えなかったのです。

 

 

    「成績が上がらない。

     このままだったら

     良い大学にはきっと行けない。

     どうしうよう。

     どうしよう。

     どうしよう。」

 

 

    朝から晩まで、

    ふと気づくと

    勉強で集中しているとき以外は、

    ずっとこのセルフトークが

    エンドレスで

    頭の中でかかっていました。

 

    追い詰められた私は、

    悲壮感を漂わせて勉強しました。

    おかげで成績はなんとか

    あがりました。

   

   

    「受からなかったら困る。」

    という不安が源泉のモチベーションは、

 

    「受かったら○○しよう!

     今まで我慢していた分、

    遊びまくるぞ!」  が源泉の

    ポジティブなモチベーションに比べ、

  

    当たり前ですが弱く、

    苦しい物で、

    そのため酷いストレスに

    苦しめられました。

    

    こうして、

    ストレスによる

    過食と食べ吐きを繰り返しつつ、

    いよいよセンター試験の1月が

    間近になりました。

 

    そんな中、

    年末に父方の祖母が

    天寿を全うして旅立ちました。

 

    葬儀は1月の三賀日の後に

    行われました。

 

    あんなに憎んでいた祖母でしたが、

    葬儀のとき、やはり涙が

    溢れました。

    そして、

    これで姉と比べられなっくなると

    ほっとしたのは覚えています。

 

 

    センター試験では、

    「これで今後の人生が決まる」

    と思い込んでいた私は、

    過度の重圧から、

    鉛筆を持つ手の震えが止まらず、

    心臓はどきどきばくばく、

    足の震えはとまらず、

    問題を読んでも意味が理解できず、

    持てる力を全く

    発揮できませんでした。

 

    

    結果にがっかりしながら、

    気を取り直し、

    第二志望の滑り止めの大学を

    受験した後、

    本命の第一位志望の試験に臨みました。

 

    このとき、

    第二志望の私立大学には

    合格していたので、

    少し気は楽でした。

    

 

    第二志望の大学は、

    姉の大学には劣りますが、

    姉の学校と比べても遜色がなく、

    私の名誉心を十分満足させました。

    

    そして、何より

    これで世間話での比較の恐怖から

    逃れられることに、

    私はものすごくほっとしました。

 

      

    結局私は、

    第一志望には、力及ばず

    第二志望の大学に進学しました。

 

    しかし、

    この選択が後に

 

   「災い転じて福となす」となるのです。

    

   それはまた後にお話しします。

 

 

   父も第二志望の大学に

   進学することを喜びました。

 

   第二志望の大学に受かったとき、

   私の次に喜んだのは、

   多分父でした。

   

   合格を告げたときの

   嬉しそうな声と、

   安心した優しそうな目は

   今でも忘れられません。

 

   父は父なりに、

   不安定な私のことを心配して

   くれていたのです。 

 

   

   当時の私は

   そのことに気づくことが

   できませんでした。

 

   家では不機嫌に黙り込み、

   時々私につらく当たる父が

   大嫌いでした。

 

   受験生で勉強に集中したく、

   音が苦手な私は

   休日は大音量で

   オペラやクラシックを聞く父に

   憎しみさえ抱いていました。

 

   

   今にして思えば、

   私が中学生になる頃から、

   父は父なりに苦しんでいました。      

   

   意に染まぬ人事異動、

   腰痛、頸椎の痛み、

   病気の伯母と老いた祖母、

   勉強ができず不安定気味な娘....。

 

   父はただひたすら

   これらの悩みや不満に

   黙って耐えていたのです。

   

 

   この第二志望の大学への進学を機に、  

   私の中で父と和解できました。

 

   

   HSS型HSPは、

   繊細であるためプレッシャーに弱く、

   安心した環境でなければ

   持てる実力を発揮することが

   できにくいそうです。

   また、

   人の目を気にしてしまうという

   性質もあります。

  

   そして、大きな音が苦手です。

 

   HSS型HSP特有の自己否定と

   自己認識の低さから、

   優秀な姉と比べては

   自己嫌悪に陥っていた私は、

   ようやく姉との比較から

   解放され、ほっとします。

   

   

   もっとも、

   この解放は束の間のものです。

   というのも、

   私が大学2年生のときに、

   姉が難関資格に合格したため、

   今度は私の就職先が

   新たな比較の種となるからです。

 

   私は、

   自分の存在価値を

   優秀さに見いだしていたのです。

 

  

   次回は、

   高校生編の最終話です。

 

   父と姉と私のピアノのことについて

   お話しします。

   

   

           

 

 

   

  

   に続きます。