世界観episode15~姉と私の長所と短所(HSP小学校編・その⑤)
前回は
小学校3年生のときに
化膿性耳下腺炎にかかったことを
お話しました。
世界観episode14~病気の時の扱いの差(HSP小学校編・その④)
今日は、
姉と私の長所にまつわる
出来事をお話します。
小学校4年生のときに、
自分の長所と短所について
書く宿題がありました。
私は困りました。
この頃は
いじめや色々なことで
すっかり自己肯定感が
低くなっていたので、
短所はすらすら出てくるけど、
短所の対の長所が
全く思いつかなかったのです。
考えても考えても
分からず、
困り果てて
母に聞きました。
すると、
母も言葉に窮していました。
というのも、
母も私も、先生が求める
「○○だったら××」
という図式に当てはまる
長所と短所が
全く思い浮かばなかったのです。
姉の場合は、
「丁寧だけどゆっくり」
姉は何かする時、
基本的に完璧主義なので、
時間はかかりますが、
完璧に仕上げます。
姉の長所と短所は
先生の求める図式に
ちゃんと
当てはまっていました。
結局、
長所と短所が
ちゃんと対になる
組み合わせが見当たらず、
姉も途中から加わって
3人で必死に考えました。
「3人寄れば文殊の知恵」
という諺がありますが、
残念ながら
文殊の知恵とは
なりませんでした。
結局、
困り果てた母が
姉の長所と短所から、
私の長所と短所を
「『早いけど雑』かなぁ.....」
と言いました。
私は母の言葉に、
「これ、良いところ無しじゃ...」
「雑な物をつくるより、
時間をかけて
ちゃんとしたものを
作らないといけない」
「こんなの長所と短所じゃない
短所でしかない」
と、学校で言われるかも
不安になりました。
そして、
これだけ3人で
必死に考えても
浮かばないほど
私には良いところがないんだ、
お姉ちゃんにはちゃんとあるのに...
ものすごく悲しくなって
自分がさらに嫌になり、
落ち込みました。
母の提案した
長所と短所を発表するのは
気が進みませんでしたが、
それしか浮かばなかったので
仕方がありませんでした。
母も
ちょっと苦しい自覚は
あったので、
一応、
「お姉ちゃんは
丁寧だから時間がかかる。
でも
雑でも早く仕上げられるのだから
それはそれで良いところだと思う」
と根拠を説明してくれました。
不安に思いながら
翌日授業で発表しました。
案の定、
私の不安は的中しました。
ともすれば、
いじめに加担していた先生は、
「長所と短所になっていない。
おかしい。
どっちも短所じゃないか」
と、みんなの前で
小馬鹿にした口調で言いました。
私は泣きそうになりました。
好きでこんなものを
発表したわけじゃない。
宿題だったから。
みんなで考えても
これしか出てこなかったから。
みんなの前でそこまで
言わなくてもいいじゃないか。
恥ずかしくて
悲しくて、
惨めでたまりませんでした。
しかも、
この長所と短所は
紙に書いて、
教室の後ろに
しばらく掲示されました。
クラスの意地悪な子達は
掃除の時間に、
私に聞こえよがしに
「長所と短所になってないよな
どっちも短所だよな」 と、
せせら笑っていました。
私の中で、
「私は雑で駄目な子」
ということが確定しました。
そして、これ以来、
何かするときには、
この言葉が呪いのように
頭に浮かび、
私を苦しめました。
社会人になり、
完璧さより
スピードを求められる
ようになった頃には、
この言葉と、
HSS型HSP特有の
完璧主義と心配性が
邪魔をして悩みました。
今にして思えば、
本当は、
このカリキュラムの意図は、
自分の長所と短所を知り、
短所はこれを機に直しましょう。
長所は伸ばしていきましょう。
そして、
発表することで
お互いをより知って
みんなで成長していきましょう。
ということだったのだと思います。
残念ながら、
そのあたりの説明が
一切無かったので、
授業は
単なる長所と短所の発表会になり、
短所については公開処刑でしか
ありませんでした。
このため、
毎日教室で目にする
教室の後ろに掲示された
長所と短所の発表の紙は、
繊細で自尊心は強く、
感受性の強い
HSS型HSPの子供にとっては、
懲罰でしかなく、
自己肯定感を著しく
下げるものでした。
次回は、
クラス替えにより
落ち着いて過ごせた
小学校5・6年生の頃を
お話しします。
に続きます。