世界観episode7~姉と私の日本人形(HSP幼少期編)

 

 ・4歳上の姉との比較(その①)

 

 ※前回は

 保育園で人との比較と劣等感を知る(その⑤)

 世界観episode6~保育園児の図画工作・(雛祭りのおひな様HSP幼少期編)

 

 

  昨日までは

 HSPの園児が

 繊細さと鋭い観察力を通じて

 初めて知った、

 同い年のお友達との比較による

 劣等感についてお話ししました。

 

 今日は、

 4歳上の姉との比較についてお話しします。

 

 姉と比べて自分が劣っているのを

 意識し始めたのも

 保育園に行くようになってからでした。

 

 私の両親は雛祭りを大切にしていて、

 姉妹それぞれに、

 ケース人形を買ってくれました。

 

 4歳くらいの頃、

 私は自分のお人形を

 買ってもらったのですが、 

 

 母が選んだお人形は、

 背景もまぶしい金色で、

 

 黒とオレンジと金の模様の、

 粋で豪奢な感じの着物を着て、

 髪の飾りも堂々とした鈍い金色で、

 

 ちょっぴりふっくらな

 自信にあふれ、少し勝ち気な感じの

 丸い顔で微笑む、

 豪奢で堂々としたお人形でした。

 

 

 どう見ても、4歳児が可愛い!と

 思うには無理があるお人形で、

 

 買うときに、

 お店で大泣きして

 意義を唱えたのですが、

 却下され、

 しかも、

 聞き分けがないということで

 しかられました。

 

 

 姉のお人形ですが、

 

 背景は柔らかな金色で、

 ピンクと紫色の着物を着て、

 えんじ色のひもで髪を結わえた、

 ほっそりたおやか、

 柔らかな微笑を浮かべた

 優美で細面の、

 可憐な中に芯の強さを感じさせる

 お人形でした。

 

  

 大人になると

 客観的に物事が見えるので、

 

 やはり姉のお人形は、姉の物で、

 

 優しげな雰囲気の下に潜む

 可愛いだけじゃない

 姉の芯の強さを投影しているので、

 

 私の持つ気の強さ、

 自尊心の高さや粋さ、豪胆さを

 投影してはいません。

 

 やはり、

 大人になっても

 自分の人形を素直に

 可愛いとは思えませんが、

 

 やっぱりこの子が

 私のお人形なのだと

 素直に認められます。

 

 

 でも

 当時は私は

 4歳くらいなので、

 

 そんなことはわからないし、

 わかりたくもありませんでした。

 

 可愛くない、がーん、

 それが全てでした。

 

 当時の私には、

 そのお人形を通じて、

 

 姉は

 ほっそり美少女が似合うけど、

 私は、

 ちょっと太めで丸い顔の

 勝ち気で可愛くない、

 私は

 姉より可愛くないと

 宣告された気がして、

 悲しくて、

 どうしようもなさを感じました。

 

 どう考えても

 子供の思い込みなのですがね。

 

 

 しかも、

 姉と私のお人形は、

 毎年お雛様と一緒に

 並べて飾られます。

  

 本当につらかった。

 この切ない思いは、

 私が自分の個性を自覚し、

 お人形を受け入れる

 小学校5年生頃まで続きました。

  

 

 今にして思えば、

 私が4歳の時に私の本質を見抜き、

 姉と私の

 それぞれの個性に合った

 お人形を選んだ母は

 私たち二人をよく見てくれていました。

 

 個性の違う2人の子供に、

 それぞれに合うお人形を

 贈ってやりたかった母の親心なのだと

 今ならわかります。

 

 

 ただ、その親心は、

 繊細で自己肯定感が低くなりがちな

 HSPの子供には

 難しすぎました。

 

 

 両親の親戚には

 HSPはいなかったし、

 

 今のように

 HSPの存在は

 知られていなかったので、

 二人とも

 自分の子供が

 ここまで繊細であることに

 気づけなかったのだと思います。

 

  

 自分の子供がかなり繊細で

 音や臭いにも敏感で、

 姉との比較がやめられない

 自己肯定感が低めな子であることに、

 母が気づいたのは、

 私が小学校に入ってからです。

  

 

 明日は、もう一つ、

 就学前の姉との比較の思い出、

 

 

 

 

 をお話しします。