地頭の差は残酷

 

地頭の差は残酷、この話は過去に塾バイトで教えてきたり、中学高校大学で色々な友達を見てきたり、仕事をしてきた中で、確信している事です。この記事だけ読むと滅入りますので、次の【大学受験の方が、中学受験よりも努力が実る】【地頭とは違う才能】とセットでお読みください。

 

 

 

 

人は生まれながらにある程度の能力が決まっていると思っています。身長も運動能力も音楽の才能も、生まれながらにある程度決まっていて、+環境要因にも左右されます。いわゆる地頭も、同様なのです。

 

例えば一般人がいくら訓練して努力しても、100m走のオリンピック選手に100m走で勝つことなんてできませんよね。

同様に化け物みたいな地頭を持っている子と、勉強が苦手な子がいたとして・・・・上記と同じ結果になるわけです。

 

もちろん同じ能力をもっていても、努力によって学力には幅がでます。しかしある一定以上の地頭が無いと、どんなに努力しても、筑駒・開成・桜蔭に受かることは出来ないのです。これは受け止めなければいけない現実です。こと中学受験においては、大学受験よりも圧倒的に地頭の支配する割合が高いのです。

 

こういう話をすると、両親の学歴が低いのに筑駒・開成・桜蔭に受かる子もいるから、そんなの関係ないという人がいます。しかし、そういった子を実際に教えてみると、やはり地頭が良いのです。勉強する環境におかれていなかったので親の学歴が低いけれど、実は親は地頭が良かった、なんてざらにあるのです。またあくまで確率論ですが、地頭の良い親からは、地頭の良い子が生まれる確率は確かに高いと思います。しかしマイナスに振れる事もあるわけで、地頭の良い親から地頭の良くない子が生まれることも普通にあります。逆に、地頭の良くない親から、突然地頭の良い子が生まれることもあると思います。

 

結局何が言いたいかというと、

 

生まれ持った地頭は確実にある

それをどの程度開花させられるかは、努力によって幅がある

しかし、どう頑張っても到達できない領域がある

ということです。

 

これを理解しないと、

*偏差値が上がらないのは本人の努力が足りないからだ(もちろん努力が足らなくて持っている才能を発揮しきれていいない場合もありますが、努力しているのに及ばない事が多々あるのです)

*塾が合わないせいだ・塾講師のせいだ

となりかねません。

 

中学受験がゴールではありません。勉強の習慣を付ける事、これからの勉学のために考える力・ベース作りをすること、本人に達成感や自己肯定感をつけてあげること、これらが重要だと思っています。その為に、親は本人の能力によって冷静に適切な目標をさだめ、メンタルのサポートをして、本人が頑張れる環境を整える、これらが重要だと私は思うのです。