今日も良い天気ですが、昨日一昨日ほど気温が上がらない予報です。ただ、昨日一昨日が2月にしては熱すぎるぐらいだったので、これで良いのかも知れません。
という事で、本題の前に短いまとめ。
モラハラ家庭というのは、子供の様々な部分を歪ませてしまう。
毒親と呼ぶに相応しい人は、自分自身の事も分からないわきまえずに、子供の身の丈に合わない立派な人格者を要求する人である。
という所で、今日も時間が押していますので、長い長い本題です。
では、これでこのシリーズも最終回なので、1から順番に貼って行きます。
では、パターン7について。
これも、その2の時のパターン4とかパターン6と類似した感覚で、カウンセリングやらトラウマ解放やらで軽減されたと自覚している一方で、まだ払拭し切れていない自分というものをどこかで自覚する瞬間があります。
それは、少なくとも私自身の人生の大半が、(一人で)楽しそうにしたら親から罰せられたり、嫌味や小言を言われるのが当たり前であった事の証でしかないのです。。
この部分はどうも、トラウマ解放の方が得意そうなジャンルって気がしてきました(私自身のメンタル面の出方として)
では、気を取り直していよいよ最後のパターン8。
そもそも、私自身としては自分の性格すなわち、幼少期から家庭や親子関係で身に付けた悪癖やトラウマというものがあるとハッキリ自覚したからこそ、カウンセリングやらトラウマ解放をやっているのです。
ただ、このパターン8という項目にきて、単純にタイトルだけでは内容が飲み込めなくて、改めて色々なタイトルの内容を読むに至りました。
そこで、このパターン8に対して出した、私の一つの結論は
2年ぐらい前の「転職が最終目的だと自分自身の具合が良くない」件とか、最近の「自分自身にOKを出す事が苦手」な問題とか、(何だかんだ)「今の自分自身が保てているのは、程々の労働時間と休日があってこそだ!」←今ここ
という具合で、複数の問題も裏の心理も複雑に絡み合っているという自分自身の真相がまるで身ぐるみ剥がされたように見えてきます(いや、エッチ。唐突な昭和のしずかちゃん)
そんなこんなで、最後のまとめ。
パターン1~8まで全部一通り見た結果、私自身の一番心に引っかかるのはパターン3の「希望がなくなるよりも悩みたい」でした。
また、このシリーズの別記事の内容で、ミスチルが大好きな大学生と音楽に興味ない同年代の会話という比喩がありましたが、その喩えだったら私は現実に特定の好きなアーティストが居る人なので、確かにそれは無理に探した訳でも好きになった訳でもありませんね。
いずれファンをやめてしまうとしても、何十年も好きでいられるか!?なんていちいち考えない人の方が多いとも思います。私を含めて。
これを書いていてふと思ったのですが、あと何十年好きとか嫌いとかもうそんな事を考え始めた地点で、ファン熱も興ざめってもんです。
では、この後の予定もありますので、また。