私が学生で茨城県に住んでいた頃、
清水の実家の妹が
「清水が舞台のかわいい漫画があるよ」と教えてくれたのが
『ちびまるこちゃん』
出てくる地名や学校名は懐かしい故郷のもので・・・
小学生あるある、
昭和あるある、
清水あるあるのオンパレードだった。
まだ、アニメになる前のこと。
今も清水には、
「ちびまるこちゃんランド」があり、
「ちびまるこちゃんバス」が走り、
「ちびまるこちゃん電車」では、
まるちゃんが「忘れ物をしないようにね」とアナウンスし、
街中に「静岡市は いいねぇ」と
さくらももこさんのようなお姉さんの旗がなびく。
各界の著名人に声をかけ「まるちゃんの静岡音頭」も作ってくれた。
<ピエール瀧(歌)、さくらももこ(作詞)、細野晴臣(作曲)、小山田圭吾(編曲)、パパイヤ鈴木(振付け)>
「安部川」じゃなくて「巴川」が出てきちゃったりして、
歌詞が「静岡音頭」というよりは「旧清水音頭」よりなのは、
仕方のないことだよねって思ってた。
誰よりも、清水の街を大切に想ってくれていた方。
清水市は、平成15年に静岡市と合併し、静岡市になった。
平成17年に政令指定都市になり「清水区」ができたけれど、
清水生まれ、清水育ちの私には、どこかに寂しさがあった。
ニュースで「清水」と聞けば、地元の話と思うけれど、
「静岡市」と聞いても、それは広すぎて多すぎて、
ちょっと自分事には思えなかったり。
だんだん清水が吸い取られ、薄まっていくような感覚。
そんな中で、
「ちびまるこちゃん」と「清水エスパルス」は、
今でも全国に「清水」の名を届け続けてくれる
アイデンティティのようなもの。
漫画家になり、
清水から離れて暮らすようになったさくらももこさんにも、
故郷の名前が薄まっていく
寂しさのようなものがあったんじゃないかな。
あの頃のままの清水を大切にしたいから、
今は静岡市だけど、
故郷のPRに力を貸してくれてたんじゃないかな。
つい最近、さくらももこさんからの申し出で、
「ちびまるこちゃんマンホール」が静岡市に寄贈されたのも、
今になってみれば、本当に最後のふるさとへの贈り物だったのかと、
胸がしめつけられます。
エスパルスドリームプラザの中にある
『ちびまるこちゃんランド』へ、ご記帳に行ってきました。
永遠の小学3年生のまるちゃんは、
これからも、ずっとずっと清水で笑って暮らしています。
どうか、清水港の風に吹かれながら、見守っていてください。
私もね、清水の街に、何か恩返しができるよう、
布おもちゃでね、
この、あったかくて、誰にとってもなつかしいような
いつまでも、和んでいたいような
この世界をね、
日常の中にある幸せを、
誰にでもある「幼な心」を、
大切に、伝えていきたいと思います。
清水市民として、本当に本当に残念でなりません。