さてさて、こんばんは。
今日は、読書記録。
「土になる」坂口恭平
本を読んだ、ということだけで今からめっちゃ前置きするの、恐縮するんですが。
ここ何年か、ほとんど本を読まない生活をしていて、本を読むことに対する興味がなくなってしまったように感じていて。
でも、こないだ「いっぺん死んでみるワーク」をやった時、私は周りと意思の疎通が出来なくなっても、自分の生きたいという意思が表せる限りは生きていたい、と思っていることが分かって。
「身体が動かせなくなって、話せなくなっても?」と聞かれたけど、私はそういう病気や老化で外部と意思疎通が出来なくなった時、外部からの刺激をだんだん受け取れなくなった世界で、その人は自分の内部で、肉眼とは別の目で見る世界があるんじゃないかと思っていて。(勝手な予想)
きっとだんだんと身体機能が落ちていく中で自分の内側の世界に戻っていくだろう。死んでいくワークの中でそんなことも考えて
それで、さぁ、元気な今に戻った時に
「感覚の幅を拡げときたい」って思った。
私の身体や記憶を通して感じることって、日常の中でよほど心を澄ませて瞬間に集中する、ということがないと、同じように感じてしまいがちだけど
本を読むと、その人の感覚、身体感覚とか知覚とかに入り込んで経験するから、なんかこう、新しい回路が開くような感じで。
そういうきっかけを求めて、また本を読むようになったのでした(←ここまでが前置き。長すぎてごめん)
さてさて。
「土になる」は、土井先生が紹介してて知ったんだけど、小説ではなくて、エッセイだった。
坂口さんが、畑を始めて、そこから変わっていく坂口さんの世界。
変わっていく、と書いたけど、今までの認識が更新されて、でも今まで感じてきたこと、やってきたことが全部繋がって、腑に落ちていく、自分のことが分かっていく、、
そういうストーリーとして書いた訳ではないけど、坂口さんが毎日書くということをする中で、記録として書いていった中で、そういう本が一冊出来た、という感じ。
坂口さんは躁鬱病と長く付き合っていて、躁鬱を落ち着かせるために色んなことをやってきている、主に、手を動かすこと
「自分の薬をつくる」
パステル画とか、陶芸とか、楽器作りとか、料理とか、編み物とか
自分がやってみたいことを、とりあえずやってみる。やってみて、続いていったり作品がどんどん出来ていくものもあるし、すぐにやめてしまうこともある、
でも、畑の野菜がポコポコ実をつけて、美味しく熟すものもあれば、青いまま落ちたり、鳥や虫に食われたり、枯れてしまうけど埋めたら土の栄養になって次の野菜を育てるように
とにかくやってみて、続くものある、楽しくなるものもある、やめてしまっても次のなにかのアイデアに変わることもある、
そんな風に、野菜づくりと創作、土と人とが繋がっていく。理屈ではなく、感覚として。
そういう発見の過程を歩んでいくのが
私自身のつくること、台所と庭菜園との循環とも繋がって、
うん、私もこういう感じがいいなーと。
なんかこう、いっこ作ってるうちに次はあれをこうしよう、みたいな、そういう感覚でなんやかんや作るし、
それが仕事になったことはないけど
仕事になろうとして、動けなくなったことはある(笑)
自分が欲しいものしか作れないし、欲しいものがなくなったら作れない
だから家具のDIYが全部済んじゃって、今は庭で野菜を作っていて
でも、服とか、今まで全然作れると思ってなかったものも、これから作れるようになるのかもしれない
なんでも、誰でも、好きなものをつくっていいよね
なんかそんなことを思って嬉しくなった。
読みながら感じたことはたくさんあるけど
感想としてまとまるのはこれくらいかな💦
土井先生の紹介から、なんでかとても読みたくて本屋になくて取り寄せとかまでしたんだけど
ほんとに今読めて良かった、という本でした。
さてさて。
今日は日曜日でしたが
餅を齧りながら本を読み
家に篭もりっきりだったけど、いい休日だった気がする。
ではでは
長い記事、読んでいただきありがとうございました。
おやすみなさい(*˘ ˘*)