おっす、オラ、ユキコ。


今、鼻が片方だけ詰まってるんだけど、
なぜか出産の時を思い出したw


私、帝王切開で子ども産んだからさ、
手術中は酸素が出るやつを鼻につけてたわけ。

最初は良かったんだけど、子どもが産声あげたら、うるうるしちゃって🥹

そしたら鼻水で両方の鼻が完全に詰まってさwww

手術中だから両手拘束されて鼻もかめないし、
(もしかして看護師さんに言ったらかめたのかな?w)

ずーーーっと口で呼吸してつらかったなー。
鼻からの酸素、無意味だったなーーー。

っていう話笑い泣き




ってことで本題。


昨日の続きです⇩

質問!!


他人の車に乗った時、
リクライニングな角度が自分に合わなかったら、
どうする?


①何も言わずに直す。
②一言断りを入れてから直す。
③直さない。


いかがでしょうか?

今までそういう機会あった方も多いと思います。



というわけで、私はと言いますと、

②一言断りを入れてから直す 

もしくは 

③直さない ですね。



というか、①何も言わずに直す、は選択肢にすらありませんでした。







なんですが!!!!


その話を母と姉にしたら、

なんと2人とも①だって言うんですよびっくりびっくりびっくり

 


「何も言わずに直すわ」(姉)

「昔は一言言ってたかもしれないけど、今は何も言わないかも」(母)




衝撃びっくりびっくりびっくりびっくり



姉の言い分はこう。


「だって、運転する人はその席に乗らないじゃん」
「次の人も直せばいいじゃん」


そうだけども!!びっくり


私の感覚としては、

「いつもこの席に乗ってる人にとってのベストな角度なのに、それを変えたら、また戻す手間がかかっちゃうよね」

「嫌がるかもしれないよね」

なんですよ。



母と姉の話を聞いてたら、


あれ??
私って気を遣いすぎなんじゃね??

息をするように
当たり前のように
気を遣ってるんじゃね??

ナチュラル気遣い人(きぃつかいびと)なんじゃね??


って思うようになったんです。



でさ、姉の言う通り、リクライニングの角度直すのなんて数秒のことなんですよ。


もし私が角度を変えたとしても、
いつも座ってる方が

「角度変えたやつ、誰だよ!!ムキー

って怒ることなんてほとんどないと思うんです。


なのに私は過剰に相手の事を考えて、相手が嫌がるかもしれないと思うわけです。


ほんでその行為は、人をバカにする行為でもあると気づいたのです。



「相手が嫌がるかもしれない」と思うことは、

「そんな事で嫌がる器の小さいやつかもしれない」

って思ってることなんだと。



鹿児島でまだコスモス咲いてた✨





一言断りを入れるってやつもさ、
ダメだっていう人いないやん??

(むしろダメだと言う人とは関わりたくないくらいじゃんw)


なのにわざわざ一言断りを入れてしまうのは、

「許可とりましたよ」
「ちゃんとあなたに気を遣ってますよ」

のアピールだなってwww


自分の行動を言語化すると恥ずかしい🫣



そんで、なんでそんなアピールしちゃうかと言うと、

「嫌われたくない」
「怒られたくない」
「認められたい」

からなんですよねーー。


やっぱり自分のことを言語化するの恥ずかしい🫣



「嫌われたくない」とかそういうのは
だいぶ手放してきたけど、

長年の癖で「嫌われたくない」前提で行動しちゃってました。



改めて自分の行動のを見てみると、
まだまだ自分では知らなかった部分が出てきますね😅



でも私の考察はここで終わりません。


「気を遣う」ことは、悪い事なのか?
自分が疲れるくらいなら、やらない方がいいのか?


その辺りを次回お話ししますねー