今日は先生時代の話です。
ゆかこです。
落ちこぼれ先生でしたから
そんな先生としての自分を
長い間
受け入れられなかったんです。
その自分を少しだけ
「それでもよかったのかも」
と受け入れることが
できるようになった話です。
小学校の先生をしている時
Aちゃんって子がいました。
Aちゃんは
すごくがんばり屋さんで
先生からも褒められるのが大好き
だから
毎日宿題のほかに
漢字練習を2ページしてきていました。
すごい綺麗な字で。
やらなきゃ
しなきゃ
なんかね。
追い詰められている。
そんなふうに感じて
私は先生なのに
「そんなに頑張らなくていいよ」
って言ったんです。
なんか
無理しているように見えたんですよね。
それを
なんかの時に
先輩の先生に話したら
「子どもの中には
頑張るのが好きな子もいるよ」
と。
確かに。
Aちゃんは
頑張るのが好きだっただけ
なのかもしれない。
その時に私は
私はもう先生できない
って思ったんです
頑張っている子に
「頑張らなくてもいい」
っていう先生ですよ。
はあ、
私はもうそこまで落ちたのか。
ダメダメじゃないか。
先生としては失格だな。
そう思いました。
Aちゃんに
自分を投影していたのか。
Aちゃんの中に
がんばりすぎている自分を
見ていたのか。
できない自分はダメだ
頑張らない自分はダメだ
だから
私は頑張る
そういう私が
Aちゃんから
見えたんですね。
本当のところは
分かりません。
ただただ
頑張るのが好きで
やっていただけなのか。
やらなくちゃ
私は認めてもらえない
頑張らないと
認めてもらえない
って思ってやってたのかは
分かりません。
でも
今思ってみると
私は
Aちゃんが好きなことを
好きなように
自分が楽しめることを
やって欲しいと思って
そんなに頑張らなくても
いいんじゃない?
って言ったんです。
きっとお家でも
わがままも言わず
いいお姉ちゃんをしているんだと思います。
そこで認められて
頑張ろうって
しているんですもの。
そうだとしたら
AちゃんがAちゃんらしく
育っていくには
一旦頑張ることをやめてみるのも
成長の過程なのかもしれませんよね。
そうだとしたら
私みたいな先生でも
まあよかったのかな
と今となっては思います。
未熟ではあったけど
Aちゃんをよく見ていたと思います。
いい先生ではなっかったけど
「別にいてもいいんじゃない」
ってくらいの先生だったな
と思えるようになりました。
あなたにも
受け入れられない自分いますか?
ダメな自分。
隠しておきたい自分。
そんな自分の言い訳を聞いてあげよう。
許してあげよう。
寄り添ってあげよう。