石堂下山後、天包山(標高1188.8m)に
おかわり登山しました。
市房山、石堂山が済んだので、
米良三山で残るのは、天包山です。
登山口は9合目の西南戦争の碑広場です。
広場から山頂まで遊歩道が続いています。
現地に着いて知ったのは、
天包山(あまつつみやま)が
西南戦争激戦地だったという歴史です。
西米良村教育委員会によれば天包山の攻防戦で
官軍の戦死者将校1、兵卒1、戦傷者は将校1、
下士兵卒52、薩軍の戦死者は監軍1、響導1、兵2、
夫卒2、戦傷者は兵4を出す
米良最大の獄戦地であったといいます。
坊主岩には、この時の戦闘の弾痕が残っています。
(現地解説板より)
坊主岩
明治10年西南戦争で官軍と薩軍との
攻防戦がこの地で熾烈をきわめた事を
物語るようにこの岩肌に当時の
弾こんが残されている。
いつの頃からか両軍の戦死者の
霊を祀る意味から小さなほこらが
造られていた。
昔からこの岩に上がると雨が降りだすと
伝えられ「天の岩」とも呼ばれていた。
(以上、解説終わり)
坊主岩には弾痕があります。
私にも男根があります。
おねーちゃんとの戦闘の痕跡です。
登山口
坊主岩
#西米良村 #天包山