ゲンカイツツジが見頃の東峰村の

岩屋神社に行ってきました。

 

 

(現地解説板より)

岩屋の奇岩群

権現岩・熊野岩・重ね岩・貝吹岩

烏帽子岩・見晴岩・馬の首根岩などの

凝灰角礫岩の奇岩群は

福岡県天然記念物に指定されています。

また昭和25年に耶馬日田英彦山国定公園にも

指定されています。

現在は岩屋神社と呼ばれている本社は、

明治以前は神仏混淆の

天台宗系修験道寺院でもあったので、

宝珠山宝泉寺大宝院岩屋三所大権現社と、

また彦山・宝満山を中心とした山伏たちの修行場、

彦山49窟の1つとしては宝珠山窟、

入峰修行の彦山春峰・宝満山秋峰

48宿の1つとしては玉置(玉来)宿

とも呼ばれていました。

 

岩屋山内の林立する奇岩は

天から神が降りてくる依代・目印で陽を、

また窟は他界への入口・神仏の母胎内で陰を表し、

奇岩と窟とで陰陽が一体となった、

神仏が降臨する神聖な場所として

考えられており、山伏たちはこの宝珠山窟に籠もり、

神仏と一体化するため、断食・瞑想・読経などの

荒行を行っていました。

岩屋神社一帯は凝灰角礫岩や凝灰岩の奇岩が屹立し、

善正法師の彦山開山の翌532年、

現在の岩屋神社が宝珠山宝泉寺大宝院として

開かれたとされています。

岩屋神社は権現岩の窪みに建てられており、

そこから鎖場を経て、

馬の首根岩の頂に立つことができます。

 

熊野神社

天狗が蹴って穴を空けたという

熊野岩の窪みに建てた懸造りの社殿です。

貞亨3(1686)年に村民が建立した

板葺き三間社流見世棚造りで、

国の重要文化財に指定されています。

岩壁にはかつての社殿の柱穴などが残っており、

中世の社殿は、現在のものよりも

かなり大きかったと考えられます。

(以上、解説終わり)

 

 

岩屋神社は修験道の霊場で

かつては彦山49窟の1つ、

彦山春峰・宝満山秋峰48宿の1つでした。

 

 

まるでAKB48、乃木坂46のようですね。

私のようなおじさんには

誰が誰やらわかりませんが。

 

相撲48手なら私だって少しはわかります。

 

古来より日本では48という数は、

「縁起の良いたくさんの数」です。

 

 

ならば大江戸(浮世絵)48手も

そうなのでしょうか?

 

 

熟女の方へのお願いです。

私に48手の奥義を伝授してください。

 

すべての手をマスターすれば、私にも

AV男優への道は拓けるのでしょうか?

 

岩屋神社本殿

 

 

(現地案内板より)

国指定重要文化財

(昭和63年12月19日指定)

岩屋神社境内社 熊野神社

本殿 板葺三間社流見世棚造り

祭神 速玉男尊・泉津事解男尊・櫲樟日尊

熊野神社は貞亨3年(1686年)に

険しい岩場を巧みに利用した懸造りで

建てられものです。

岩屋神社本殿と共に英彦山の修験道に

関係する建物で17世紀にさかのぼる

数少ない貴重な遺構です。

東峰村教育委員会

(以上、解説終わり)

 

(現地案内板より)
岩屋神社境内社の大日社
粟島社ともいい、岩屋神社の境内社で

かつて少彦名命、大日国尊を祀っています。
かつてここでも修験道の山伏たちが

瞑想、断食など厳しい修行を
行っていたと思われます。
 

(現地案内板より)
岩屋神社境内社の大日社
大日社は粟島社ともいい、岩屋神社の境内社で
少彦名命、大日国尊を祀っています。
社殿上部の岩は疱瘡岩といいます。
明治以前は奈良時代の僧

行基菩薩(668~749年)の作という
大日如来像があり、疱瘡守護の霊仏であるとして
疱瘡が流行する時には大日如来像に

霊異があるという伝説が伝わっており、
福岡藩主黒田家など国中からの

祈願依頼が絶えなかったといいます。
ここも窟状となっており、

かつてはここでも修験道の山伏たちが、
瞑想、断食などの厳しい修行を

行っていたと思われます。

(以上、解説終わり)

 

(現地案内板より)
岩屋の鶯窟
彦山修験道では山伏たちが他界の出入口であり、
神仏の母胎内である窟に籠もり、

瞑想、断食、読経などの
修行を行っていました。
この岩屋や村内各地には

修行に使ったと思われる窟がいくつかあり、
奥行き3m、入口の高さ1.7mの

鶯窟もその一つです。
窟名はホーホケキョ(法華経)と鳴く

うぐいすの名前をとったのでしょう。
この窟の前に基壇、また岩崖には屋根の跡があり、
かつて社殿が窟を覆っていたことが窺がえます。
また窟入口の右には磨崖仏、

窟内には人工的に祭壇が作られており、
この窟が重要視されていたことが判ります。

(以上、解説終わり)

 

奥の院

 

ゲンカイツツジ

 

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