高千穂河原から高千穂峰(標高1573.6m)を

往復しました。

古宮址の高千穂河原より活火山の御鉢、

元宮のある瀬多尾を経て

天逆鉾が突き立てられた山頂に至ります。

 

 

(現地解説板より)

古宮址天孫降臨神籬斎場

日本で最も古い書物である古事記・日本書紀に

霧島神宮の御祭神瓊瓊杵尊が

「襲の高千穂の峯に天降ります」と

記してあるように、

高千穂峰は神様の宿る山として古へより、

多くの人々の崇敬を集めて来ました。

ここ高千穂河原は文暦元年(1234年)まで

霧島神宮のあった処です。

霧島山の大噴火により社殿を

田口にお移ししておりますが、

高千穂河原は神籬斎場として

現在も祭祀が継続されており、

特に11月10日には天孫降臨御神火祭が

峰の頂上と斎場で斎行されております。

霧島神宮

(以上、解説終わり)

 

 

 

天孫降臨の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を

主祭神とする霧島神宮は、

欽明天皇の御代(6世紀)、慶胤上人が

高千穂峰と火常峰(御鉢)の間の

瀬多尾(背門丘・瀬戸尾)に

社殿を造られたのが始まりです。

 

しかし瀬多尾は、御鉢火口に近く

社殿は延暦7年(788年)の

火常峰(御鉢)の噴火で焼失しました。

 

その後、天暦年間(950年)に性空上人により

瀬多尾越(高千穂河原)に再興されますが、

ここも文暦元年(1234年)の火常峰(御鉢)の

大噴火により社殿、僧坊がことごとく焼失しました。

 

時代が下って文明16年(1484年)に

島津忠昌公の命をうけて兼慶上人が

現在の霧島神宮の地、田口に社殿を再興しています。

 

このように霧島神宮は度重なる霧島山の噴火により

焼失、移転を繰り返しています。

 

我が家でも、風俗店のおねーちゃんの

名刺が見つかったり、財布を落としたり、

泥酔して人事不省になったり、

怪しい投資話にひっかかったりする度に

妻が噴火を繰り返しています。

 

 

災害と妻害は、

危ない危ない、用心用心

 

瀬多尾

 

御鉢火山

 

 

天逆鉾

 

 

 

 

 

 

 

#高千穂峰 #霧島神宮