企救自然歩道の風師山(標高362.2m)、

矢筈山(標高266m)を巡りました。

 

 

 

車を停めた小森江子供のもり公園は、

風師山、矢筈山の登山口となっています。

 

 

公園の一角にある小森江貯水池と小森江浄水場は

コレラなどの伝染病予防と急激な

人口増加による水不足の解消のために

水道整備が必要となり、

そのため明治44(1911)年に

建設されたもので、

福智貯水池(小倉南区)から

の水をここで濾水して

門司市内に配水していました。

 

今では使命を終え廃止されましたが、

小森江子供のもり公園の

一部として保存されています。

 

 

(現地案内板より)

明治44年(1911)11月4日、小森江浄水場から

旧門司市の一部に給水が開始されました。

 

これが北九州市の水道の始まりであり、

九州では長崎、佐世保についで3番目、

わが国では22番目になり

明治時代に国際港都として繁栄していた旧門司市は

この給水開始を機に名実ともに

近代都市の仲間入りをしました。

 

しかし、市勢の急速な発展により

給水開始後5、6年で

早くも給水事情はひっ迫しました。

 

さらに既設福智貯水池(小倉南区)から

小森江浄水場までの導水管は

直径400mmで延長22.6kmと距離が長く、

事故があった場合は

門司市全体がその修理期間中に

断水になる恐れがありました。

 

そこで、小森江貯水池の築造が

小森江浄水場約300mの

風師山麓渓谷に計画され、

その工事が大正9年から大正12年まで

行われていました。

 

小森江貯水池の有効貯水量は9万5千㎥

(福智貯水池の有効貯水量は77万㎥)で、

貯水可能量は1日あたり平均約690㎥しかなく、

貯水池としては小規模な施設でしたが、

安定供給のためには重要な施設でした。

 

昭和48年、福智、頂吉両貯水池を包含する、

ます渕貯水池が完成し、

井出浦浄水場が門司区民に

給水開始したことにより、

小森江浄水場と小森江貯水池は休止されたが、

昭和53年及び57年の渇水時に

非常用として再度給水を行いました。

 

現在、小森江浄水場と小森江貯水池は

廃止されていますが、

「小森江子供のもり公園」内には

煉瓦造りの貯水施設の取水塔が

建設当時のまま残されており、

今なお公園の一部として

市民の皆様の憩いの場となっています。

北九州市水道局

(以上、解説終わり)

 

 

さて日本では水道事業を民営化へと舵を切りましたが、

安全保障上、環境上、絶対に水道事業を

外国資本に譲り渡してはいけません。

 

 

外国勢力を導入していいのは

夜のおねーちゃんの世界だけです。

 

ウクライナ人女性、ポルトガル人女性など

めちゃくちゃきれいですね。

フィリピン人女性の一部には

飛び抜けてかわいい娘もいますね。

 

 

宮崎の国会議員のように

C国のハニートラップに引っかかるのは

言語道断です。

 

床の上の世界にも

安全保障は必要です。

 

 

私と妻の関係のように

清い関係が安全ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#矢筈山 #小森江貯水池