20日は、九州百名山の金山(標高967.3m)に

登りました。

2日前の積雪で三瀬峠が通行止めのため

登山口を佐賀市の山中地蔵に変更しました。

 

登山口に鎮座する山中地蔵は

土豪の三瀬氏の祖、野田周防守清秀

屋敷跡に孫の野田三郎家房が

明徳4(1393)年に祖父・清秀の法要を行い、

地蔵尊を安置したのが起源です。

 

脚気に後利益があるとの評判で

山中脚気地蔵として信仰を集めました。

 

 

(現地石碑より)

脚気地蔵尊の由来

脚気地蔵尊とも称される由来は、

山内諸城主話合いのうえ西暦1530年頃、

筑後の神氏勝利を迎えて三瀬城の統将とし、

その居城と定めた。

時恰あたかも戦国の世、龍造寺 大友の大藩と

しばしば鉾を交えましたが

その都度神出鬼没の健脚を利して敵を撃破しました。

これも一重に武将を祀る地蔵尊の加護によるものと信じ

出陣の折には必ず祈願をこめていたもので

古書に「征戦万里疲れを知らず」とある

語辞から活気に因み脚気地蔵と言い伝えられて

今日もなお多くの人々がお参りに見えます。

毎年7月24日はお地蔵祭りが行われています。

 

 

 

脚気はビタミンB1の欠乏症で

死に至る不治の病でした。

江戸時代、精米の一般化によって蔓延し

多くの国民が苦しめられました。

山中地蔵は、脚気にご利益があるとして

信仰を集めました。

 

さて多くの男性を苦しめるものに、

女性の色気があります。

最悪のケースでは、男性は悩殺されたり、

恋の病を引き起こします。

しかし女性は年を重ねていくと

色気が毒気や妖気に変わっていきます。

肌の湿気も失われていきます。

 

脚気と異なり、いまだ特効薬はありません。

 

 

 

 

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