14日の日曜日は山に行けなかったので
九重連山ネタを引っ張りますね。
ミヤマキリシマ(深山霧島)は、
九州の標高千メートル以上の火山地帯に
多く群生する半落葉性のツツジです。
花の色は、紫紅色、桃色、薄紅色で
群落が開花すると、山の稜線がピンク色に輝きます。
和名は、1909年に霧島へ新婚旅行に訪れた
植物学者牧野富太郎博士が、
「深い山に咲くツツジ」という意味で
「ミヤマキリシマ」と命名したことに由来します。
ということで、今回もミヤマキリシマの花の
ピンク色に因んでピンク話をご紹介します。
英雄色を好むと言いますが
徳川家康もその典型で
20人ほどの側室がいました。
家康は身分が低い熟女好みでしたが
最後の側室、於六の方(養儼院)は
まったく違いました。
於六の方は、元は側室お勝の方の部屋子で
家康に見初められ、10代で側室になりました。
70歳のジジイは、ロリコン趣味だったんですね。
家康は於六の方を大変気に入り、
大坂冬の陣にも供奉させました。
家康は、「自分が死んだら於六の方は出家させ
再婚させてはならない」と遺言するほど
溺愛したそうです。
完全なエロ爺ですね。
家康が亡くなったとき、於六の方はまだ20歳、
不憫に思った徳川秀忠は、家康の側室の中で
唯一、再婚を命じました。
再婚先は、超名門の喜連川義親です。
ところが寛永2年(1625年)、於六の方は
家康の法事で日光東照宮を参詣した際に急死しました。
享年29歳でした。
当時の人は、家康公の執念と噂したそうです。
ところで最近、父方の伯母が亡くなりました。
従姉妹から伯母が父に会いたがっている
との連絡があったので
すぐに父を連れて行きました。
伯母は1ヶ月前から寝たきりになっていました。
でも父の訪問をとても喜んでいました。
翌日、再び従姉妹から連絡がありました。
伯母が亡くなったとのことでした。
98歳の大往生でした。
それにしても人間には
目に見えない力が備わっているんですね。
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