岳ヶ水水源とも云われる熊本県益城町の潮井水源は、
潮井神社の境内から水温17~18℃の清水が豊富に湧き出し、
駐車場も完備されているため、水汲み客が絶えません。
潮井神社は建仁2(1202)年に塩井宮の名で初見するほどの
古い社で、五穀豊穣の神、秋津彦神をお祀りしています。
干ばつ
の際には雨乞いが行われていたそうです。
近くには徳富蘇峰・蘆花兄弟の母方の実家、矢嶋家があり、
徳富蘇峰は文久3(1863)年にこの地で誕生しました。
水源には「徳富蘇峰先生誕生地碑」が建っています。
徳富蘇峰は昭和27年に生誕之記を執筆し、
潮井神社に記念植樹をしています。
なお矢嶋家は幕末の大思想家、横井小楠と関係が深く、
徳富蘇峰・蘆花兄弟の母、久子のほか、
矢嶋家の四賢婦人、肥後の猛婦と称される
竹崎順子、横井節子、矢嶋楫子を輩出しています。
現地案内板より
この水源にまつわる面白い話があるたい。
文政6(1823)年の春にこの杉堂に伊三次て言う百姓がおってな
自分の田のむぞしさ(可愛さ)に、内緒で潮井の水源ば、
深さ一丈(約3メートル)長さ百尋(約150メートル)ばかり
掘って自分の田さん水ば引かしたい。
そるが潮井宮の神さんの気に障ってな、
5月中頃の苗代時まじも潮井の水の出らんな止まってしもうちな。
ゆうと村中呆れち、時の郡代の里長(総庄屋)のにて訴え出た訳たい。
それでその人達が祭主となって、
津森宮の宮司も共に寝食を忘れて、「大御心を和らげ給え、
蒼主の為に水を与え給え」て必死に祈らしたげな。
そして15日・16日・17日・18日と祈りに祈って
19日の昼、流石の神さんも哀れて思いなはっただろう、
大御心も和らいでな、切り立つ崖かる水の吹き出して、
太さ二丈(約6メートル)もある岩ば吹き離す勢いで流れ出し、
轟々てい言うち下の井出も田も打つ流すごと流れ出したげな。
こるば見て村中の百姓も村々の里長(庄屋)達も
心から喜うじ、そるからいよいよこの潮井さんば、
大切にする如てなったてたい。
(津森宮社伝・益城町民話より)




