昨日の母の飯
玄米餅が冷凍庫に眠っていた。
もちろんまだ新たな半額パン🍞もコンビニ🍙おにぎりも眠っている。でも
飽きを回避する為に餅にする。
マスクメロンが直売所で300円だった。
プラムは小さな5個で150円。
前夜はそれらもすりおろし仲間に入れた割焼酎🍹にする。
昨日お土産を買い荷物を送ったその足で
再度山の神のところへ向かう。
なんとなくそうしたくなった。
帰宅して一服☕️甘々豆乳カプチーノタイムを取り、
なんとなく着物を着たくなって着た。
また着物が増えている…と思ったら、
亡くなった方のご家族が持ってきたという。
うちの母に、生前随分と着物を世話してもらったとのこと。
「小雪母さんにもらっていただければ…」と
お亡くなりになったご家族が袖を通したものを、
処分する氣になれずという話だった。
なんとありがたい。状態もかなり良い。
2階に戻り、ガサゴソと桐箪笥を漁っていたら…
辻ヶ花の着物と帯が出てきた。
こんなものも持っていたのか。
私ごとき中途半端には勿体無い。
もっとちゃんとあれこれと和服を学びたくなる。
なぜだろう。
実は私も母も着物が好きではなかった。
特に母はチャラかったから、今だったらキャバ嬢のような格好を望んだに違いない。
ところがある日。
氣が弱いくせに亭主関白だった父に「明日から和裁を習いに行け」と命じられる。
教師仲間に和裁の先生をしている家族がいて、
話を合わせるために「うちの家内がやりたがっている」などと嘘をついて話を合わせたらしい。
後に引けなくなり、帰宅した父は母にそう命じたのだ。
それがきっかけで、母は着物を縫いだした。
自分で縫った着物だ。当然着たくなる。
その頃の母は自分で着物を縫い上げはするが着れなかった。
それで今度は着付けを習いに行く。
当時の名前は京都きもの学院だった。
母はそこで、免許皆伝まで行ったら打掛が着れることを知る。
初日、そこだけしっかりとインプットして帰宅した。
結婚式を挙げられないでいた彼女はもう、打掛を着たい一心であっという間に免許皆伝まで上り詰める。
そしてものっっっっっすごいニッコニコ顔の打掛姿の若い母が、
大きな一枚に収まることとなる。
自分を飾りたい欲しかなかったと言うわけだ。
人生には何が転がっているか分からない。
取るに足らない踏み潰すだけの石ころが、
大きな財産に繋がったりしているものだなと思う。
案外今の大成功が小さな石ころだったりするのかも知れない。
小さな一つで良いんだな。
それがまた幸せだったりするし。
ちょっと負け惜しみ的な思考しか持てなくても良いのだと知る。
これから東京に戻る。
この場所と母と離れるのは辛いけれど、
これも試練で、私に必要なことなのかも知れない。
自然と願う。
どうかどうか、母を守ってください。
恵まれてはいると思うけれど、
彼女がずっと元氣で幸せに暮らせますように…
また来るから👋
頼むから幸せでいてね。