あったかいような、でも家の中はひんやりなこの頃・・・
桜は散ってしまいましたが、境内のチューリップは元気に咲いています
トイレ前ってのが、ナンですけど・・・
さて。
今日は、お釈迦様がお生まれになった日です。
誰にとっても誕生日は特別で、「いのちについて」「生まれてきたことについて」考えさせられますね。
だって、気がついたら、もう生まれちゃってたんですから・・・
生きてることが理解できるようになる頃には、もうすでに何年もたっちゃってるんですから、今さら選びようがない。
だからせめて、なのか、人はどうしても、生きてることに意味を見出さずにはおれないですね。
これを「業」ごうというんだそうです。
人の、持って生まれた切ない「業」・・・なんだか重たいですけど。
でも、そうはいっても、大体において、そんなこと私たちは考えずに生きてます。
忘れてますし、気にするつもりもなく、目の前の問題に取り組みながら生活しています。
まあ、そういうもんです。
ただ、それに真っ正面から取り組んだ人がいる。その、元祖がお釈迦様です。
お釈迦様自身も、そうやって自分に意味を見出さずにはおれなかったわけだし、一生懸命見出していったのでしょう。
「道」と言われます。その、心を「求道心」道を求める心、と。
そして、私たちに「一緒に探して行きましょう」と、呼びかけられている。
自分足で立っていけるように。明日もなんとかやっていけるように。
人ひとりの人生だから、簡単なおまじないのような言葉なんてのはない。
立って歩けるまでには時間がかかる。立って歩けるかもわからない。
でも、いつでもここにいるよ、とそばにいて、心の中にいて、励ましてくれる。
まあ、そういったもの。を、お釈迦様自身が一生懸命、探したんです。
見つかりましたかね?
見つかったんでしょうね。
「阿弥陀」のハタラキだよ、と教えてくれています。
人間が、人間として生まれてきたからこそ見出していけた、力だよ、と。
まだまだ、勉強中です。
さよならは仮のことば
「詩」は、その力を、言葉にとして表現しようとしているものだ、
と私は勝手に思っています。