アイドルグループ モーニング娘。 | キミという名の翼で

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KinKi Kids堂本剛くんファンです。
アンチはお断り。
KinKi Kids、堂本剛ソロ名義の活動について思ったことを中心に書いています。

ナカイの窓 伝説のグループSP


○モーニング娘。 安倍なつみ

テレビ東京のオーディション番組asayan「シャ乱Qはたけプロデュース 女性ボーカリストオーディション」で最終選考で落選
したメンバー5人で結成された。

デビュー前から同番組で取り上げられ、インディーズシングルを手売りするドキュメントが放送され、注目が集まる中、

1998年 メジャーデビュー曲「モーニングコーヒー」でデビュー

3rdシングル「抱いて Hold on me」でレコード大賞最優秀新人賞を受賞、紅白初出場。

1999年 「Loveマシーン」で初のミリオンセラーを記録。

全盛期、安倍なつみは飯田香織と、中澤裕子は石黒彩と一緒に住んでいた。

アイドルとして多忙な時期に、プライベートでも仕事仲間と離れられない日々を送っていた。

モーニング娘。不仲説は、かつてのメンバーが既にいろんな
ところで暴露しています。

前髪を何センチ切るか、衣装もメイクも何から何まで決められて
いたし、コンサートのMCで話すことも全て台本があって、決め
られていた。

アツヒロくん「ジャニーズはそこまでではなかった」


そんな、モー娘。がアイドル全盛期の頃、安倍さんは、本当の
自分を出せないストレスを抱えていた。

中居くん「アイドルって、そういうものだよね」

だから、つんく♂に「卒業したい」と訴えていた。

そして、21歳でモーニング娘。を卒業。


この話を聞きながら、KinKiの剛くんのことを思った。

安倍さんは、モーニング娘。を卒業して、ソロになることで、
自分を取り戻すことができた。

剛くんも「本当の自分ではない、周りから望まれたアイドル堂本剛」を演じることに疲れ、悩み傷ついていた。
パニック障害を発症するほど。

アイドルをやめることもできず、グループから放れることもできなかった。

KinKi全盛期のあの頃、剛くんの一言で、グループを解散して、事務所を辞めることなんて、できたのかな。

もしできたとして、大人ばかりに囲まれた中で、ふたりぼっちで芸能界を歩いてきた光一くんを置き去りにして、自分だけ辞めるなんて、心優しい剛くんにはできなかったんじゃないか、と想像する。

剛くんは、辛い現実から逃げ出さず、グループと並行して、ソロで自分の痛みや思いを吐き出すことで、アイドルを続ける道を選んだ。

奇抜な髪型や衣装は、自分を守る、せめてもの反発だったのか。


そんなことを思いながら、番組を見ていた。