ナカイの窓 伝説のグループSP
○光GENJI編 佐藤アツヒロ
ちなみに、私、初めて好きになったアイドルは、光GENJIの
赤坂晃くんで、自分の部屋にはグループと個人のポスターを
貼っていたし、ファンクラブに入って、武道館・東京ドームの
コンサートにも行きました。
クラスの女子の間では、光GENJIの誰が好きかでキャーキャー
していたなぁ。
私が今まで、ファンクラブに入ったのは、光GENJI、GLAY、KinKi Kidsだけ。 共通点・・・ないかな。
私の中では、ファンクラブに入る=ファンになったという定義。
光GENJI
1987年 「STAR LIGHT」でデビュー 売上は50万枚
続いて「ガラスの十代」 売上60万枚
1988年「パラダイス銀河」売上80万枚 レコード大賞受賞。
「ガラスの十代」の方が有名なのに、売上もレコ大も「パラダイス銀河」なんだよね。
「パラダイス銀河」は、音楽番組で流れるPVが、何故か途中から
アニメーションになったんだよね。
デビュー当時、佐藤アツヒロくん(敦啓くん、通称あっくんでないと、しっくりこない)、それから同級生の赤坂晃くんは、中学2年生。
中3(15歳)でとったレコード大賞は、最年少受賞。
この年のレコ大から紅白への移動で、首都高が封鎖されたっていうから、当時のトップアイドルの人気の凄さがわかるよね。
光GENJIの人気の凄さがわかるエピソード
・バレンタインには、4tトラックで20台分のチョコが事務所に届いた。
はい、私もチョコを送ったひとりです。(*^Ψ Ψ^*)
・コンサートでは、失神するファンが出るほど。
しかし、アツヒロくんのいた中学校では、本人がいたから、そんな光GENJI現象はなく、いたって普通に学生生活を送れたから、当時、人気に実感がなかった、と言っていた。
高校に進学すると(ちなみに、SMAPの吾朗ちゃんとは堀越の同級生)、朝、家を出る時に20人ぐらいのファンがいて、駅に着くと、50人に膨れて、新宿に着く頃には、200人ぐらいに膨れ上がっていたとか。
プライベートもファンに囲まれて、大変な生活だったんだねぇ。
憂さ晴らしに、バイクに乗っていたというのに、驚いた(゜ロ゜)
人気絶頂のジャニーズアイドルが!!
確かに、アツヒロくん、アイドルしていた昔もツン気味で、
悪っぽい感じがあったよね。
光GENJIは、そもそも50人ぐらいのジュニアが集められて、
後楽園のローラースケート場でローラースケートを練習。
ジャニーさんは、アツヒロくんに「YOUでグループ作るから」
と言い、アツヒロくんを中心にグループのメンバーを決めた
そう。
アツヒロくん、佐藤寛之くん、諸星くんの順に決まっていった。
諸星くんがセンターだったから、すっかり諸星くんを中心に
グループを作ったのかと思った。
そういえば、V6を結成する時も三宅くんを中心にグループを
作ろうとして、ジャニーさんが三宅くんに話をしたら、森田くんが入らないと知って、「剛と一緒じゃなきゃ、やらない」と
言ったから、三宅くん森田くん(剛健コンビ)を中心に結成された
んだよね。
中居くんは、当時の光GENJIを、「圧倒的で太刀打ちできない。
光GENJIのコンサートでSMAPが歌うと、トイレに立ったり、
座り始めたりされた」
また、光GENJI解散コンサートを慎吾くんと見に行き、
「ステージにローラースケートを置いて去ったのが寂しかった」
「番組も持ってない、CDも売れてない。光GENJIが解散して、トップになっても不安しかなかった」と語っていました。
それから、ジャニーズのコンサートについて。
「ジャニーさんはコンサートのステージの演出等、2年間は着いて徹底的に教えて、その後は本人たちに任せる。
だから、MCも全部メンバーが考える。恐怖でしかない」
と話していました。
光GENJIの全盛期は、とにかく社会を巻き込んだ一大ブームだったよね。
トップテン、ベストテン、夜のヒットスタジオ、Mステ。
どの歌番組にも出ていて。
それだけ歌番組があったから、今のアイドルのようにバラエ
ティーには出ていなかったし、ドッキリぐらいは出ていたっけ?
だからこそ、本当の意味でのアイドルだったよね。
私、晃くんの声変わり前のきれいな高音の透明な歌声が好き
だったな(*´ω`*)