涙でぼやけた世界で、美咲さんの描いたマリア像のようなお母さんが美しい笑みを浮かべている。
 そしてその腕に抱かれている赤ちゃんの顔が笑っているように見えた。
 夕暮れの美術室にオレンジの優しい太陽の光と、私たちの切ない涙が溢れていた。
 その中で絵画は鮮やかな色合いを見せて輝いている。この先は大樹さんのもとで、輝き続けるだろう。お母さんの帰りを待つ大樹さんを癒し続けてくれるに違いない。
 秋の爽やかな風が私たち全てを包み込んでいた。

 次の日、私は龍馬さまに会いに行った。久しぶりにこの坂を登る。美香おばさんの家に自転車を止める。この行動も久しぶりだ。
『あら!ひまわりちゃん。久しぶりね。何だか色々大変だったみたいね。』
 美香おばさんが私がいる事に気付いて家から出てきた。
『心配かけました。でももう店も通常の状態に戻ったよ。』
 私は自転車に鍵を掛けて、そう答えた。
 そうなのだ。日常がどれだけ幸せかをつくづく感じていた。
 かなさんが抜けた喫茶店もすぐに新しいバイトの人が入ったし、永末さんも戻り相変わらず黙々と仕事をしていてくれる。

 永末さんがなぜあんな行動を起こしたのかもわかったの。びっくりなんだけど、永末さんは学生時代から私のお母さんの事が好きだったそうだ。
 その頃はちょうど、お父さんもお母さんの事が好きで、永末さんが身を引いたらしいの。
 結局、永末さんはずっと独身をつらぬいて、お父さんが亡くなったときには、仕事さえ辞めて喫茶店を手伝ってくれるようになったの。
 今回も同様で私やお母さんの役に立ちたかったんですって。すごい無償の愛だを感じるわ。
 私は永末さんを断然応援するわ。この先にお母さんとの仲が上手くいくようにね。一つ楽しみができたわ。

 お母さんやお父さんや永末さんも素敵な青春時代があったんだよね。私が体験したこの夏の切なさみたいにね。


『心配したわよ。でもよかったわ。何だか暫く見ないうちに大人びた顔立ちになったわね。』
 美香おばさんのその言葉は私にとってはすごく深い意味にとれるんだよね。
 大人びたか。人を愛する事を知ったからかな。
『そうかな。あ、自転車をいつものようにお願いしますね。』
 気恥ずかしい私は早々に話を切って、坂を走っていく。きっと赤い顔をしていたと思う。
 さあ、もうすぐ龍馬さまに会えるわ。

 いつもの場所で彼は立っていた。いつもの場所で私を迎えてくれた。私は彼の近くに座った。
 少し汗ばんだ顔に風が心地よく感じる。いつもの風だ。この風さえ懐かしく感じる。私は深呼吸をする。気持ちがいい。風の香りが身体中に行き渡る。

 とても暑くて、長いような短いような切ない夏だった。
 全てが終わるまで、ここには来ないって決めたあの日から、とてつもなく長い時間が経っているような感覚。何もかもがそう感じる。




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