『この長崎で名古屋の医学部生を探すのは大変だったわよ。まあ、お金さえあれば簡単だけど。ふふっ。』
 冷ややかな笑顔で応える。刑事さんたちに促され、教会の扉を出ようと歩き、最後に彼女は振り向いた。
『そうそう、高橋優子さん。あなた未遂ばかりでホント情けないわね。福田和音の息の根は止めておかないといけなかったわね。』
『ひどい!』
 私は叫んだ。言ってはいけない、許せない言葉だ。
 和音はそんなかなさんの後姿を哀れみの眼差しで見つめていた。いたたまれない空気だけがここに残っている。

 なぜそこまで高橋大樹さんに執着していたのか。自己満足なんだろうか。みんなの憧れの的を自分のものにしたかったのかもしれない。


『さあ、行こうか。』
 吉武刑事は由香里さんの肩を叩いた。彼女は何も答えない。別の刑事さんたちは高橋優子を連れて出ていく。歩くのがやっとの状態だった。
『お母さん!』
 大樹さんが叫ぶ。
『ごめんね。』
 泣きながら大樹さんに謝っている姿は、あんな恐ろしい事をしたとは思えないだだの母親の姿だ。

 由香里さんと吉武刑事はその後に続いた。
 凛とした姿はどんなときも美しく眩しい。こんなにも素敵で凛々しい女性が何で罪を犯さないといけないの。
『由香里!』
 伯母さんが由香里さんにすがりついた。
『必ず此処に帰ってくるのよ。いつまでも待ってるわ。』
 由香里さんの目に涙が溢れる。
『長崎から、いえ、五島から出るんじゃなかった。東京なんて、行くんじゃなかったっ。』
 涙が次から次に溢れる。きらきら光りながら落ちる。
『帰ってきたらもう二度とここから出なくていいよ。死ぬまでここにいればいいんだ。』
 松園さんが溢れそうな涙を堪えて精一杯笑った。
『俺も死ぬまでここにいるしさ。』


 五島から出るんじゃなかった。その言葉が胸に突き刺さる。ここから出なければ、由香里さんの心と体に深い傷は出来なかったはずだ。あんな事件も起きなかった。
 この信仰深い小さな島で、青い海と美しい風景を見て生きていれば、嫌なことなんておきなかった。
『小さいときから、命の大切さを刻み込まれるように育ってきたわ。長崎に生まれ長崎で育った。命の大切さ、尊さを何で忘れちゃったの。』
 私は独り言のように泣きながら口に出していた。
 由香里さんは幸せにならないといけない人だ。

『ひまわりさん、私が死ねばよかったのよ。赤ちゃんだけ死なせずに、私も死ねばよかったのよ。そして、あの男を殺したらよかったのよ。あのときにみんな死んでたら、才津くんも美咲さんも今ごろ生きていたわ。私の最大のミスは私を生かしてしまったことなのよ。』
 違うよ、由香里さんは死んじゃいけない。言葉に出したいのに、言葉が出ないよ。涙しか出ないよ。

 号泣したまま由香里さんは刑事さんたちと出て行った。


 教会の中には、私と岩永くんと愛子先生に松園さん、由香里さんの伯母さんに、和音と大樹さん。
 みんな泣いていた。
 いつの間にか雨は止んでいたようだ。ステンドグラスの色鮮やかな光が眩しい。その光が切なさを倍増させているように感じる。

 誰もその場を立ち去ろうとはしない。ステンドグラスの光を見つめたまま、何も言わなかった。それぞれが、色々な思いを抱いてこの光を見つめている事だろう。

 命の大切さを誰よりもわかっているはずの長崎に生まれた私たち。原爆で跡形もなく消えた街から強く生きてきたのに。爆風で片足になってしまった鳥居はそれでも凛としてそこに立っている。

 各所に残る戦争の爪跡。平和への祈りを込めて、学校や子供会や何かにつけては折った千羽鶴。
 何でみんなそれを忘れちゃったの。悔しいよ。悲しいよ。
『ばかやろう!』
 私はありとあらゆる思いを込めて叫んだ。教会の中に私の叫びが響いた。そんな様子をマリア像は何も語らず見守っていた。

 私の切なく暑い夏が、全て終わった瞬間だった。



それぞれの理由 完

次回、最終章 『此処に生まれて』に続きます。色々と回収して、すっきり終われるようになってます。



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