『私は理事長の娘の青方由香里です。父はあいにく不在にしています。私で良ければ、話を伺いますわ。』

 高橋優子は笑顔もなく、複雑な顔をしていた。由香里は深刻な話だろうと察した。応接室のソファーに座り、だまったままうつ向いていた。

 理事長がいなければ仕方ない。高橋優子は一度は帰ろうかと思ったが、由香里のある言葉で話そうと決めるのだった。

『どこかでお見かけしたと思っていましたが、上五島の教会のコンサートにいませんでした?』

 その言葉に心がほぐれたのか、少し笑みがこぼれて語り始めた。


『息子には考え直すように何度も言ったの。相手の女性にも話したわ。彼女は言ったわ。私たち家族には迷惑はかけないから産みたいって。そんな事ができるわけないわ。彼女にだって親御さんがいるんだし。全て秘密にできるわけないのに。』
 高橋優子は泣き崩れた。
『どうしたらいいかわからないの。だから、信頼できる青方さんに相談に来たの。どうしたらいいの。わからないの。』
 頭を抱えて下を向いたままだ。自分一人で抱えるには大きすぎる問題であった。配偶者の仕事上の立場や息子の将来、実家の後継ぎ問題。既に彼女のキャパを超えていたのだ。

 そのとき、由香里の心に悪魔か鬼かわからないが邪悪な何かが入り込んでしまった。
 高橋優子の憐れな姿が昔の自分と重なったのか、もしくは子供を産んでもいいと言われた岩永美咲を羨ましく感じ、妬ましくその幸せを許せなかったのかもしれない。
 理由は一つではなく、色々な要素が重なってしまったのかもしれない。
 周りが闇に包まれ、大学生の自分と高橋優子が泣いてる姿だけが由香里には見えていた。黒いどろどろしたものが自分の身体を覆う錯覚に陥った。
(由香里が泣いてる。可哀想。一人ぼっちだよ。助けないきゃ。)
 許されない計画がスタートしてしまった。後は由香里の計画のもと、高橋優子は従う形で始まってしまった。

 岩永美咲と才津信吾を誘い出すのは容易い事だった。
 美咲を上五島の教会に呼び出したのは高橋優子。思い出の教会で、女同士で話し合いたいと呼び出した。
 子供をどう育てるのか、美咲の両親をどう説得するのか、話し合うべき課題は果てしなくあったのだ。
『私もゆっくりお話したいと思っていたんです。嬉しいです。』
 美咲は笑った。未来が開けたような気がしたからだ。素直な高校生は何の疑問もなく、その誘いに乗ってしまった。

 才津信吾を呼び出したのは、もちろん青方由香里だ。理事長が上五島に住む姉のところに行く日があり、その時間なら話を聞く余裕があると吹き込んだのだ。
『いいよ。そこで話ができるなんて好都合だよ。有難う、本当に有難う。頑張って理解してもらえるように話をするよ。』
 才津も何のためらいもなく、上五島まで来たのだ。

 睡眠薬を用意したのは、実家が病院経営をしている高橋優子だ。劇薬なら管理はかなり厳しいが、睡眠薬くらいなら手に入れるのは簡単なものだった。
 どこかでどちらかが、やっぱり止めましょうとなぜ言えなかったのか。
 違う道があったはずなのに、人が歩んではいけない道を歩み続けてしまった。走り出した計画は止まることも止めることもできなかった。
 心中に見せかけて二人を消す。それぞれの邪魔な存在を抹殺する。
 その手段しか考える事ができないくらいに追い詰められていたのだ。冷静に考えたら、違う道も方法もあった筈だ。でも、この二人だけの思考では違う道を探す事ができなかった。
 あの日、青方康夫が在席していたら。もしもを考えたらいくつもあったのに。
 深い、深い闇に追いつかれてしまい、とった行動が人として断じて犯してはならない罪だった。



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