第九章 それぞれの理由 スタートです

残り、第九章と第十章になりました。まだまだ新事実が出てきます。お楽しみ下さい。


 高橋優子は髪を振り乱した姿で床に倒れこんだ。

『なんで、今さら・・。今まで静かに過ごしてこれたのに。何で今さら蒸し返すのよ!』

 そう叫んで床を両手で叩いた。


『違うわ!』

 私は叫んだ。でもそれだけしか言えなかった。あまりに色々な事が頭の中を渦巻いて逆にその一言しか口から発することができなかったのだ。

 今さらって何なの。5年前の事は消えたとでもいうの?5年でも10年でも、昨日であっても、罪は罪よ。

 消えるはずないじゃない。年数が経てば消えるの?悲しみや辛さや、罪や憎しみが消えるの?


『今さらって何なのよ!あんた、ふざけてんの?』

 冷静を装っていたはずの愛子先生が叫んだ。

 はっとして顔を上げた高橋優子は、愛子先生を見つめた後、小さな声で語り始めた。

『私はただ、守りたかった。私の家庭と、実家の病院の行く末を。』

 消えるような声だった。

『妊娠なんてわかったら、主人の出世にかかわるわ。大学に行かずに働くなんてあの子は言ったわ。じゃあ、病院はどうなるの?そうでしょ。だから、邪魔だったの。あの岩永美咲が。』

 私は目眩がした。出世?邪魔?おかしいよ。間違ってるよ。

 私はくらくらしながら、岩永くんの顔を見た。彼はただ黙ってその様子を見つめていた。

『働きたいならそれでもいいじゃないの。美咲さんと赤ちゃんと三人で幸せになれたかもしれないじゃない。医者だけが仕事じゃないわ。』

 私は必死に声を絞りだした。そんな私を高橋優子は睨んだ。恐ろしい形相だ。

『子供は黙っていなさいよ。高卒で子持ちでどんな仕事ができるというの。年収は何倍違うと思っているのよ。医学部に入るだけでどれだけ大変かわからないでしょう。病院は誰が継ぐのよ。今まで築いてきたものを壊せというの?主人だって必死に仕事を頑張ってここまできたのよ。どれだけの苦労があったと思うのよ。何も知らないくせに。』

 私は高橋優子を見つめ、『確かに何もわからないかもしれないわ。でも邪魔って何よ。それになぜ才津先生が関わるの?わからない事ばかりだわ。』

 そう、独り言のように叫んだ。誰か明確な答えをちょうだい。彼女が夫と息子の為にどれほどの苦労をしたのかは誰にもわからない過酷さだったかもしれない。でも、人の命を奪っていいわけないじゃない。


『確かにな、会社は小さな事でもそれを利用して引きずり下ろそうとする奴らがウジャウジャいるらしいな。出世街道から外れると戻れないそうだよな。自分の子供が彼女を妊娠させたなんて知れたら、そいつらの思うツボだな。』

 松園さんが呆れた口調で話す。

『自営業の俺には理解できない世界だよ。』

『私は守りたかった。それだけよ。何も悪い事などしていないわ。』

 その後の言葉は泣き声が交ざっていた。


『何が守りたかったよ!私が守りたかった愛する人を帰して!私の花嫁姿を帰して!幸せを掴みかけていた私は何なのよ!』

 愛子先生の叫びが胸に響いた。辛すぎる。


『もういいわ。才津さんのことは私が話すわ。』

 その声の主は由香里さんだった。

 みんな一斉に彼女を見た。その姿は凛々しくもあり、消えそうに儚くもあった。

『才津くんを消したかったのはこの私。美咲さんを消したかったのは高橋優子さん。それぞれの思いが重なったのよ。』

 そう言って由香里さんは重い口を開いた。




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