大学二年になった春の事だった。
桜が舞う大学の庭。新しい一年生たちの笑い声がする中、青方由香里はひどい目眩と吐き気を感じた。
(何?)
自分に起きている身体の異変に気付いた。今まで味わった事のない体調の変化に、由香里は病院へと向かった。
身体の異変。その原因は、小さな新たな命が芽生えていたせいだった。
(どうしよう。)
不安と嬉しさが交互に訪れる。
(あの人の赤ちゃん。)
悩んだ末、二階堂翔に話すことにした。自分一人ではどうしたらいいかわからなかったからだ。大切な話があるからと、電話で部屋に呼んだ。
『何だか、元気のない声だったけど、何かあったの?』
彼はいつもと変わらず優しい笑顔で部屋に入ってきた。部屋に入りいつものように二人掛けの白いソファーに腰をかけた。
由香里は言い出しにくい気持ちを抑えて、彼の目を見つめて、重い口を開いた。
『あのね。赤ちゃんが出来たの。』
『え?』
翔はそう言ったきり、黙ったままだ。
二人は見つめ合ったまま、重苦しい時間だけが過ぎていった。どれくらいの時間が過ぎただろう。
由香里から目を背け、窓の外を見ている翔の口から出た言葉は、
『ごめん。』
聞きたくない台詞だった。
『まだ大学生だし、それに俺は卒業したら親のあとを継ぐ為に知り合いの議員の事務所に入るんだ。勉強の為にね。子持ちじゃ、都合悪いよ。』
彼は都議会議員の息子。後を継ぐ道が約束されている身だった。当たり前といえば当たり前の返事だったのだ。
『そうだよね。』
由香里はスカートを握りしめて、それだけ言うのがやっとだった。
その日から、由香里は大学を休んだ。
一人、悩んだ。自分の身体の中に芽生えた命。自分に殺す権利があるのか?逆に、この世に送り出して父親のいない寂しさをこの子に与えていいのか?
苦しかった。一人での闘い。どうしようもない孤独を再び感じていた。
長崎に戻ろうか、こんな事を親に話せるなずもない。どうするのがいいの。自問自答し、苦しみ続けた。
そんなある日、二階堂翔から連絡があった。
『大学に来てないね。今日、時間あるかな。後で部屋に行くよ。』
『うん。』
何の話だろうか。子供を産んでもいいって言ってくれるのかな。部屋を片付けながら、彼女はそんな事を考えていた。
インターホンが鳴りハッとする由香里。
翔は合鍵を持っているので、インターホンなど押さないからだ。そっと玄関の扉を開けた。
そこにいたのは、優也とスーツ姿の40代くらいの男性。ゆっくりと部屋のドアを開けた。彼女はその場の状況が理解できなかった。
スーツ姿の男性は彼女に名刺と翔の持っていた合鍵とを同時に出した。
『弁護士?』
弁護士に頼んで、由香里との関係を解消する道を選んだのだった。
『二階堂さんから話は伺っています。二階堂さんの親御さんの代理人で来ました。慰謝料としてこれだけの金額を用意しました。恋愛の手切れ金としてはかなり多いと思いますよ。』
高飛車な口振りの弁護士は500万円の小切手を出した。
『え?』
由香里の頭は真っ白になった。お金で全てをなかった事にしろと言うのか。赤ちゃんの命さえも、私の孤独も、絶望感も、翔との思い出も。
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