『おい、上五島に向かうぞ。』

 吉武刑事は車を運転している同僚の刑事に言った。

『は?』

 同僚の刑事は驚いて吉武刑事の顔を見る。

『長崎駅に行くんじゃないんですか?』

『長崎駅から長崎港。そこからフェリーだ。調べなくても間違いない。』

 吉武刑事は勘でそう決めていた。もちろん何の根拠もなかった。

『駄目ですよ。絶対怒られるますって。』

『俺が責任とる!またどこかに逃げられたらどうするんだよ。時間との勝負なんだよ。足取りを調べている時間が勿体ない。』

『報告して指示を待ちましょうよ。』

 しかし、吉武刑事は譲らない。嫌な胸騒ぎもするのだ。何度も同僚の刑事を言い含める。早く行かないといけない、その思いが強い。

『本当に知らないですからね。』

 とうとう折れて、二人は上五島へと向かった。


 私たちは警察が慌ただしく動いているなどとは全く予想していなかった。緊張しきったままの私は、警察が動き始めたちょうどその頃に上五島に到着したのだった。

『おーい。』

 緊張という言葉にはほど遠い笑顔の松園さんが手を振っている。あの度胸が私は欲しい。わざわざ車で迎えに来てくれるのは本当にありがたいことだ。

『旅館の送迎車のこんな車でよければ。』

 良く言えば、彼の笑顔には救われる。重苦しい気持ちで降り立ったが、少しは気持ちが楽になった。

『ありがとうございます。松園さん、お久しぶりですね。』

 愛子先生が優しい笑顔でお礼を言った。

『いえ、才津が本当に誰かに殺されたなら、なぜだか理由を知りたい。誰かに恨みなどかうヤツじゃないからね。あ、失礼。それはあなたが一番よくわかってましたね。』
 松園さんは愛子先生に会釈すると、車に乗り込んだ。私たちもそれに続いた。
 風が一瞬強く吹いた。私の髪が顔にかかる。髪を手でかきあげて、私は空を見上げた。厚い雲に覆われた上五島の空が目に入る。
『雨が降るかな。』
 そう呟き、車に乗った。
(いや、嵐になるのかもしれない。)
 私は空を見ながら心の中でそう言った。

 その頃、由香里さんはあの教会にいた。才津先生と美咲さんが殺された場所。毎年欠かさず開催した聖歌隊コンサート。
 色々な思い出や悲しみや遺恨がいりまじった場所だ。
 美しく、空気は清んでいるはずなのに、彼女にはとても重苦しく感じていた。
 誰もいない。彼女一人だけだ。ため息さえ、吐息さえ、聞こえるほど静かだった。目をつむり、椅子に腰掛け祈りの姿をしていた。茶色の髪に長いまつ毛の美しい顔立ちの彼女にステンドグラスの赤や緑の光が映る。
 再び、昔の事を思い出していた。


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