セミの鳴き声がうるさいと言って嫌う人もいるが僕はこのセミの鳴き声が大好きだ。
なぜなら夏が大好きな僕にとってこのセミの鳴き声は、一種の興奮剤のようなものだからだ。
なんだかテンションが上がってくる。
そんなセミも成虫になってから生きられるのは、ほんの数週間だ。
土の中で何年も過ごした後、敵に襲われないよう暗い時に羽化する。
セミの抜け殻の事を古語で「空蝉(うつせみ)」と言い、僕たちが現世に生を受けている姿を「現身(うつしみ)」と言う。
日本では古来から「空蝉(うつせみ)」と「現身(うつしみ)」を重ねて考えられてきた。
「生」とは儚い一瞬の出来事だ。
抜け殻だけを残して成虫となったセミのように、僕たちのほんの一時の儚い時間を生きているのだろう。
空になった抜け殻は精いっぱいに生きた証。
僕たちもやがて過去という殻から抜け出し、大きく羽ばたいていく時期が訪れる。
抜け殻に固執し続けても、もうそこに戻ることはあり得ない。
だから僕たちは前を向いて、常に“この一瞬”を生きるしかないのである。
「もののあはれ(もののあわれ)」は日本独特の美意識だ。
僕たちが経験する幸せも不幸もほんの一時の儚い時間だが、そんな儚さの中に奥深さがある。
僕たちはそれぞれが現世に生を受けて、それぞれの瞬間を生きてる。
だから現在(いま)という瞬間を大切に精いっぱいに生きよう。
あのセミたちのように。