木が種から芽をだし大きく育ち、やがては土に帰るように僕たち人間も生まれ、やがて死ぬ。
始まりがあれば終わりもある。
形あるものは必ずいつか壊れる。
そして壊れたグラスは元に戻らない。
この考えの本質は「人生のすべては流転する」という事。「流転」とは仏教用語のひとつで、すべては移り変わることをいう。
万物は流転する。
移り変わってやむ事がない。
グラスはいつか壊れてしまうもの。
もちろん誰も「壊れてほしい」なんて望む人などいないだろうし、受け入れられないのは自然なことだ。
しかし「形あるものはいつか壊れる」と理解していれば、実際に壊れた時にも必要以上に失望することはなくなる。
だから大切なのは「あきらめる勇気」だ。
それは投げやりになる事ではなく、物事をありのままに受け入れる事。
誰だって大切なものが壊れたらショックだし、それが大切であればあるほどショックも大きい。
だけど大きなショックを受けるということは、これまでにそれを「持たせてもらっていた」というふうに考えることもできる。
それまで持っていた事に感謝できるのだ。
僕たちは今だってさまざまなモノを与えられていて、それらのどれを失くしたとしても大きなショックを受けるだろう。
だから与えられている今に感謝にしよう。
何事もあたりまえと思わずに感謝して過ごそう。
僕たちは失くしたら大きなショックを受ける程の宝物を今もたくさん与えられて生きているのだから。