入院していた為、ボクシングの練習ができなかったゆたぼんが退院後に再びボクシングのジムで練習を再開しました。
ゆたぼんは今日も自由に過ごしながら、自分のペースで自分が学ぶべき事を学んでいます。
学校では「いつか何かの役に立つ」と言って、子どもに無理やり勉強させますが、子どもの今の幸せを奪ってまで大人の価値観を押しつけるのはおかしいですよね?
子どもの将来の幸せの為だと鞭打って、子どもの今の幸せを犠牲にさせているだけではないでしょうか?
勘違いしないで欲しいのですが、私は何も勉強させるのが悪いと言いたいのではありせん。
「子どもの将来の利益に繋がるから」と言って、子どもの「現在の幸せ」を犠牲にしてしまっては、本当に意味での「教育」とは言えないと思っているのです。
なぜなら、「教育」とは、将来の利益の為になされるものではないからです。
子どもは無限の可能性を秘めています。
誰でも一個のリンゴをかじれば、そのリンゴの中にある「種の数」はその気になれば数える事ができるでしょう。
しかしそのひと粒の種の中の「リンゴの数」は、誰にも数える事はできません。
なぜなら、それは無限の可能性だからです。
たったひと粒のリンゴの種もやがて大きなリンゴの樹になって、数えきれないほどのリンゴの実をつけるようになります。
そしてそのリンゴの実の中にもまた種があり、そこから新しい可能性が無限のように広がっていくのです。
リンゴの種の中に無限の可能性があるように、子どもたちの可能性の中にも無限の可能性が秘められています。
そしてそれは私たち大人の中にも!です。
だからそれぞれの可能性が花開くように、自分の心に素直に従って生きよう。
自分がどのように生きていけばいいかは、自分の心が一番よく知っているはずだから。