心はさかんなりと言えども楽しまざれば也 | 中村幸也オフィシャルブログ「自由に生きるのに遠慮はいらない!」

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2018年6月に妻と子ども4人を連れて大阪から沖縄に移住してきた自由人。心理カウンセラー。「あきらめる勇気」の著者。『元不登校YouTuberゆたぼん』のパパ!

沢雉十歩一啄、百歩一飲、
不期畜乎樊中、神雖王不善也

 
これは中国の戦国時代の思想家、
荘子の言葉だ。
 
沢雉(たくち)というのは、
沢に住む野生の雉(キジ)の事を指し、
この言葉からは大切な事が学ぶ事ができる。
 
 
沢に住むキジは、
十歩(じゅっぽ)に一啄(いったく)し、
百歩(ひゃっぽ)に一飲(いちいん)するも、
樊中(はんちゅう)に畜(やしな)わるるを
期(もと)めず

  
これは沢辺に住んでいる野生のキジというのが、
十歩いってようやく一回のエサにありつけ、
百歩いってようやく一度水を飲める、
という生活をしている事を現している。
 
しかし、
「樊中(はんちゅう)に畜(やしな)わるるを
期(もと)めず」

 
そんな生活をしている野生のキジだけど、
鳥かごの中に飼われる事を求めていない。
 
 
神(こころ)は王(さかん)なりと雖(いえど)も
不善(たのし)まざれば也(なり)
 
鳥かごの中で飼われたらエサも水も与えられ、
安心して暮らす事ができるかもしれないけど、
「それじゃあ、楽しくないでしょ!」
っていう意味だ。

 
 
心はいつも自由であろう。
 
 
これは僕たち人間にも同じ事が言える。
自由に生きなければ、つまらない。
 
「社畜」のように会社に飼いならされていると、
確かにお金は貰えるかもしれない。
 
だけど、自分の自由な心を殺して生きても、
人生が楽しめるはずがないのだ。
 
だから自分の生きたい生き方を自分で選び、
楽しみながら毎日を過ごそう。

 
 
だって、人生は一度きりしかないんだから。
 
 
時には安定なんかに拘らないで、
茨の道を進む冒険をしてみよう。
 
損得で物事を考えないで、
自分の心に素直に従ってみよう。
 
世間体だとか周りの目なんて、
「どうでもいいこと」はほっておこう。

 
そして自分が楽しいと思える人生を
自らの手で創りあげていくのだ。
 
 
誰にとっても人生は一度きり。
 
 
だから自分の心を自由に開放して、
色んな冒険を楽しもうぜ(^O^)