「祈り」は知らない人の心も癒す | 中村幸也オフィシャルブログ「自由に生きるのに遠慮はいらない!」

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2018年6月に妻と子ども4人を連れて大阪から沖縄に移住してきた自由人。心理カウンセラー。「あきらめる勇気」の著者。『元不登校YouTuberゆたぼん』のパパ!

何か辛い事や困難に出会った時、
悲劇のドラマの主人公のように感じる事がある。
 
「なんで自分だけがこんな目に…」
 
そんなふうに被害者意識を持ってしまい、
自分で自分の心をさいなむ。
 
しかし人は自分が被害者だと思ってしまうと、
起こる事のすべてを酷い事のように感じてしまう。
 
起きる事すべてを被害者の目で見てしまい、
誰かや何かのせいにしてしまうようになるのだ。
 
そうならない為にもまず、
自ら与える人であろう。
 
 
「与えるものは、与えられる」のだ。
 
 
与えるといっても、
何も難しく考える必要はない。
 
自分の為ではなく、
誰か人の為に祈るだけでいいのだ、
 
「祈る」なんて聞くと
何か宗教的な感じがするかもしれないが、
「祈る」自体に宗教は関係ない。
 
神さまを信じる人は信じればいいし、
信じない人は信じなくても構わない。
 
 
アメリカでこんな実験結果がある。
 
 
末期がんの患者を無作為に選び、
AとBの二つのグループに分ける。
 
その人たちとまったく違う所に住んでいる
十人の健康な人たちに、Aグループの患者さん
十人の名前を教えて回復を祈ってもらった。
 
Bグループの患者には何もしなかった。
 
その結果、祈ってもらったAグループの患者さんは、
あきらかに回復力が高かったのだ。
 
祈ってもらっている患者さんは
自分が祈ってもらっている事を知らない。
 
祈っている人も相手の名前以外は何も知らない。
 
それなのに何回実験しても、
同じような結果が出たのだという。
 
 
つまり祈りの効果に距離は関係ないのだ。
 
 
そう、「祈り」には力がある。
「祈り」は知らない人の心も癒すのだ。
 
この実験のおもしろい所は、
祈るほうが特定の宗教をしていたわけでもなく、
特に信心深い人だったわけでもない所だ。
 
人は不思議と自分の為に祈っても無心になれない。
しかし誰かの為なら無心な状態で祈れる。
 
それが自分より大変な状態にいる人なら、
なおさら一生懸命になれるだろう。
 
 
だから、祈ろう!
 
 
被害者意識を捨てて無心になって人の幸せを祈ると、
不思議と心が安らかになる。
 
「愛」というのは差し出す事により、
いくらでも自分の中から湧いてくるものだ。
 
見返りを求めるのではなく、
ただ誰かの心が癒される事を願い、
心から祈ってみよう。
 
自分のした事は自分に返ってくる。
与えるものは与えられる。
 
 
だから今こそ、誰かの為に祈る事だ。
 
 
「祈り」は知らない人の心も癒す。
なぜなら「祈り」には強い力があるのだから。
 
僕も熊本地震で被害にあわれたすべての人に、
心から祈っている。