生きるとは選ぶ事である | 中村幸也オフィシャルブログ「自由に生きるのに遠慮はいらない!」

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中村幸也のブログ

2018年6月に妻と子ども4人を連れて大阪から沖縄に移住してきた自由人。心理カウンセラー。「あきらめる勇気」の著者。『元不登校YouTuberゆたぼん』のパパ!

昨日は本当にたくさんの方から、
誕生日祝いのコメント&メッセージを頂き、
中村幸也は超ハッピーです(^^♪
 
ありがとうございました!!!
 
生きている事に感謝して、
今という瞬間を精いっぱいに生きて、
また新たな目標へとチャレンジします。
 
あなたの応援が僕の励みになります。
これからもどうぞヨロシクお願いします!
 
 
では今日のコラム
「生きる事は選ぶ事である」
 
僕たちの毎日というのは、
ほとんどが選択の連続で成り立っている。
 
たくさんの選択肢の中から
じっくりと熟思する時もあれば、
瞬間的に何かを選択して進む事もある。
 
そう、意識していようが無意識だろうが、
僕たちは常に何かを選択して暮らしているのだ。
 
 
選択肢はさまざまだ。
 
 
僕たちはそうやって日々何かを選び、
それを繰り返しながら生きている。
 
時には自分の意思を超えた
運命の大波にもまれながらも、
僕たちは自らの選択で人生を切り開く。
 
もしかしたら9割は運命かもしれない。
 
しかしたとえそうであったとしても、
残りの1割は自分で選ぶ事ができるのだ。
 
 
あなたは何を選ぶのか?
 
 
起きた出来事に対して、
自分がどう感じるかも、
僕たちは自分で選択できる。
 
たとえば朝、椅子に足をぶつけた時だって、
「今日は朝からついてないな…」
と思う事もできるし、
「これで目が覚めたぜ。ついてる!」
と思う事だってできるのだ。
 
考え方も捉え方も人それぞれ自由だ。
そして人生は選択の連続で成り立っている。
 
 
それは子どもの頃から続いている。
 
 
どこの学校を目指すのか?
どこの職場で働くのか?
住む場所はどこにするのか?
結婚はどうするのか?
 
大きな選択が決定的な選択になる事もあれば、
日常生活のちょっとした選択が
人生を左右する大きな選択になる事だってある。
 
そう、人は自ら何かを選択する事によって、
自分の人生を生きているのだ。
 
だから自主的に選択できなくなった時、
人は生きる意味を失うのかもしれない。
 
 
生きるとは選ぶ事である。
 
 
僕たちの日常生活の中には、
無限に広がる選択の世界が広がっているのだ。
 
明るい道を選んで進むのも、
暗い道を選んで進むのも自由だ。
 
あなたはどっちの道を選ぶだろう?
 

 

 

 

 
どうせだったら…
明るい道を選んでみないか?
 

 

 

 

 
どうせだったら…
幸せの道を進んでみないか?
 

 

 

 

 
僕たちは自分で自分の道を
選ぶ事ができるのだから。