誰かを幸せにはできない | 中村幸也オフィシャルブログ「自由に生きるのに遠慮はいらない!」

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中村幸也のブログ

2018年6月に妻と子ども4人を連れて大阪から沖縄に移住してきた自由人。心理カウンセラー。「あきらめる勇気」の著者。『元不登校YouTuberゆたぼん』のパパ!


今すぐ“見方を変えれば”不幸は幸せになりますが、


見方を変えなければたとえ“環境が変わった”としても、


幸せになれるとは限らない。






コップに半分の水が入っている。






それを見て「もう半分しか水がない」


と思う人もいれば、


「まだ半分も水がある」と思う人もいる。




“コップに半分の水”というのはひとつの事実だけど、


それに対しての見方はひとつではない。




これは何も「半分しかない」と思ってしまうことが、


“悪い”と言っているのではないんだ。






“違った見方”もできるという事。






今この瞬間に「違った見方もできるかもしれない」と気づけば、


不幸と捉えていた事も幸せな事と思えるようになるかもしれない。




逆に視点を変えなければどれだけ環境を変えた所で、


“同じようにしか見えない”のではないではないだろうか?




あなたの幸せは周りの環境や身近な人で成り立っているのか?


ではあなたの不幸は周りの環境や身近な人の“せい”なのか?






じゃあ、あなたの幸せって何?






「もし、こうだったらもっと幸せだったのに…」って、


じゃあ本当にそうだったら今もずっと幸せだったのかなぁ?




「結婚したあの頃は天にも昇る心地だったのに今となっては…」


でもね、それが人生というものではないだろうか。




だって何かを得た時に感じる喜びは永遠ではなく瞬間だから…。


でも「幸せ」ってそんな瞬間の中だけにあるわけじゃないと思うんだ。






幸せがあたりまえになると幸せを感じられなくなる。






“何かを失って悲しい”という事は、


それまで“何かを持っていた”という証じゃないかな?




孤独で淋しく感じるのは人のぬくもりを知っているからだし、


健康の喜びは病気の悲しみを知っているからこそ感じられる。




自分は“健康なのがあたりまえ”と思えば、


健康な状態でないと「私は不幸だ」と思ってしまうし、


食べる事も寝る事も生きている事だってそう、


“あたりまえ”と思うか“幸せ”と思うかは結局は自分次第なんだ。




僕たちが生きていく人生には喜びだけじゃなく、


悲しみも淋しさも苦しみだってある。






でもそれがあるから感じられる幸せもあるよね?






「あの時の苦労があったからこそ!」


「あの悲しみを乗り越えたからこそ!」




そうやって乗り越えてきたからこそ人は成長し、


今も生きているのではないだろうか?




だからもし今あなたが淋しさを感じていたとしても、


それは“幸せへのプロセス”なのかもしれない。




僕たちは決して“誰か”を幸せにする事はできない。


なぜなら幸せとは本人がそう感じるものだから…




僕が幸せにできるのは僕だけだし、


あなたが幸せにできるのもあなただけだ。






僕たちはいつも今この瞬間を生きている。






“今ここ”に目を向ければ幸せはそこにある。


そう悲しみも淋しさも苦しみも全部プロセスさ。




だから“ないモノ”を探して見つけようとするのをやめて、


“持っているモノ”に目を向けてみようよ。




あなたがあたりまえのように持っているモノやしてきた経験は、


それは誰かが「欲しい」と思っている幸せかもしれないのだから。











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