今すぐ“見方を変えれば”不幸は幸せになりますが、
見方を変えなければたとえ“環境が変わった”としても、
幸せになれるとは限らない。
コップに半分の水が入っている。
それを見て「もう半分しか水がない」
と思う人もいれば、
「まだ半分も水がある」と思う人もいる。
“コップに半分の水”というのはひとつの事実だけど、
それに対しての見方はひとつではない。
これは何も「半分しかない」と思ってしまうことが、
“悪い”と言っているのではないんだ。
“違った見方”もできるという事。
今この瞬間に「違った見方もできるかもしれない」と気づけば、
不幸と捉えていた事も幸せな事と思えるようになるかもしれない。
逆に視点を変えなければどれだけ環境を変えた所で、
“同じようにしか見えない”のではないではないだろうか?
あなたの幸せは周りの環境や身近な人で成り立っているのか?
ではあなたの不幸は周りの環境や身近な人の“せい”なのか?
じゃあ、あなたの幸せって何?
「もし、こうだったらもっと幸せだったのに…」って、
じゃあ本当にそうだったら今もずっと幸せだったのかなぁ?
「結婚したあの頃は天にも昇る心地だったのに今となっては…」
でもね、それが人生というものではないだろうか。
だって何かを得た時に感じる喜びは永遠ではなく瞬間だから…。
でも「幸せ」ってそんな瞬間の中だけにあるわけじゃないと思うんだ。
幸せがあたりまえになると幸せを感じられなくなる。
“何かを失って悲しい”という事は、
それまで“何かを持っていた”という証じゃないかな?
孤独で淋しく感じるのは人のぬくもりを知っているからだし、
健康の喜びは病気の悲しみを知っているからこそ感じられる。
自分は“健康なのがあたりまえ”と思えば、
健康な状態でないと「私は不幸だ」と思ってしまうし、
食べる事も寝る事も生きている事だってそう、
“あたりまえ”と思うか“幸せ”と思うかは結局は自分次第なんだ。
僕たちが生きていく人生には喜びだけじゃなく、
悲しみも淋しさも苦しみだってある。
でもそれがあるから感じられる幸せもあるよね?
「あの時の苦労があったからこそ!」
「あの悲しみを乗り越えたからこそ!」
そうやって乗り越えてきたからこそ人は成長し、
今も生きているのではないだろうか?
だからもし今あなたが淋しさを感じていたとしても、
それは“幸せへのプロセス”なのかもしれない。
僕たちは決して“誰か”を幸せにする事はできない。
なぜなら幸せとは本人がそう感じるものだから…
僕が幸せにできるのは僕だけだし、
あなたが幸せにできるのもあなただけだ。
僕たちはいつも今この瞬間を生きている。
“今ここ”に目を向ければ幸せはそこにある。
そう悲しみも淋しさも苦しみも全部プロセスさ。
だから“ないモノ”を探して見つけようとするのをやめて、
“持っているモノ”に目を向けてみようよ。
あなたがあたりまえのように持っているモノやしてきた経験は、
それは誰かが「欲しい」と思っている幸せかもしれないのだから。
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